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Channel: 感染症診療の原則
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放射のう に効く〇〇

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もうすぐ2011年3月11日震災から1年近くになろうとしています。
危機感は時間とともに薄れていくものですし、
ずっと緊張状態にあることは負担なので、自分自身が納得する情報や意味づけをさがして一定のところで(個人の中では)おちつきます。

(事実と解釈は異なる)

震災や原発事故の影響は一律ではありませんし、情報源や家族構成によっても緊迫感や優先順位、関心の強さが異なるので、一般化は難しいフェーズにあります。

正直、東京で毎日最優先で考えるのは難しいのですが、ときどき「今どうなっているのかな」と、政府情報、専門家情報、ネット情報をみています。

作業としては、今までどおり「ひととおり見る」ということをします。
直後と今では関心の優先事項が異なるので、自分が見たり信頼を置くソースも変化していることに気づきます。
ちなみに・・あやしすぎる・・・といわれているものもみます。
その幅広さと意見や情報の食い違いから学ぶものもあります。



最近、気になる話題が2つありました。

1つは、なんでもかんでも放射能に関連付ける話。

(詳細は省略)

もうひとつは、こういった話に商売がリンクしていることです。

放射能を解毒(?)する○○、薄める○○、などです。

インフル騒動のときも、感染予防シャンプーとか、いろいろありましたので同じパターンか、、、とおもうのでありますが、中には子どもに飲ませる/食べさせるものもあり、それが明らかに食用ではないとか、腐敗して別の健康リスクがともなうんじゃないかというものがあって心配にもなるわけです。

新型インフルのときには、こういったものは効果が証明されていない、あるいは健康リスクがあるという警告を米国FDAや東京都などが発表していました。

今回の放射能対策では、そもそも初期対応の段階でうさんくささをしょってしまった行政がいうと、別のリアクションがおきるようにも思います。

このようなマイナスの影響を減らそうとの科学者らによる解説や情報もあります。

原発事故の健康や人生への影響は皆が避けたいと思っているので、その原則にあまり対立構造はありませんが、リスク評価でずれ、また、そのあとの対処方法の考え方で立ち位置や意見がわかれています。


「・・・だから○○がいいんですよ、必要です、有効です」
というには根拠が必要です。

(と医療者になる人は訓練されていますが)

そういった根拠や手法じたいに信用をおかないというか、関心がないというか、そもそも効果や根拠にこだわりはないかのような語りもみかけます。
(これは平時の時にとりくむべき課題のひとつ)


別の健康被害が生じるリスクもあるわけで、注意換気情報を地道に流す方々もいます。

「「放射能」で便乗商法多発」日刊スポーツ

(国民生活センター 「震災に関する消費生活情報」 はもう少し詳細をのせてほしいですね)

どのようなことがおきているか。
片瀬久美子さんの解説がとても参考になります。

「デマのできかたと不安につけこむ業者たち」(シノドス掲載)、「あやしい放射能対策」 (シノドス掲載)では、マクロビオティック、EM菌、米のとぎ汁乳酸菌、ホメオパシー、ペクチン、スピリルナの解説があります。
またブログには「あやしい医療機器」の解説もあります。

症状とその対処ということである部分、医療にかぶるので知っておいた方がいい話題かとおもいます。



今後、こういった情報は今後どちらに流れて行くのか。
そもそも、情報を誤らないことを願っているというスタート地点が同じだとしたら、どこでずれていくのか。

ネットでは、様々な立場の情報が流れているので、どこかで気づいたり修正するチャンスもあるのでは?と思うのですが、ときに最初から対立構造化してその情報の活用さえ阻まれる状況も見ます。

Twitterなどは自分自身外編集者となって、自分の読みたい・好みの情報源をフォローしますし、見たくない情報は極力避けるようなことも可能で、確信バイアスや総意誤認バイアスの影響を極端にうける媒体です。
ここでの情報が仮世界のようになってしまうリスクも感じます。


Wiredの「ソーシャルメディアがもたらす、科学報道の変化とは!?」で、田中幹人氏はこういっています。

「(略)科学的な情報がソーシャルメディアでどう扱われているかということです。原発に関してTwitter上の議論を見ていると、科学的にデータがどうかというよりも、あの人は反原発だからデータをこう使うに違いないといったような二項対立になっていまい、結局、「あなたは敵なのか味方なのか」というレッテル貼りになってしまいがちです。同じ思考をもった人々で自然と集まってしまい、分断されたトライブ(部族)が次々に作られてしまうのです。これにはやむを得ない側面もありますが、トライブ化を受容しつつも、それを社会のなかでどういうふうに最終的にアジェンダビルディングに繋げていくかという問題に興味をもっています。」


正月休みに2冊の本を読み返しました。


ダマされないための工夫を考えた一冊。

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)光文社


対立構造にならないための工夫を考えた一冊。

科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)日本放送出版協会

by編集部

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