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Channel: 感染症診療の原則
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『科学コミュニケーション論』

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「科学コミュニケーション論」という分野があります。

この領域が注目してきた対象やテーマの歴史を体系的に勉強すると、感染症の啓発や、専門的な内容について専門的な知識を持たない人とどう会話するのかを考える際に参考になります。

ワクチンに関する原稿を書くために昨年読んだ本。

科学コミュニケーション論東京大学出版会


昔から、専門家と専門的な知識を持たない市井のその他大勢の人がいました。この間にあるのは知識量や質のギャップで(それゆえに専門家なのですが)、それがよいアウトカムにつながることもあるわけですが、そうでない問題も起きています。

新しい技術が開発され、複雑なものになり、一般の人には簡単には理解できないものが増えました。

そこでの未知のリスクを考え、抵抗や拒否を示す人達が出てきました。
結果としてそれが関係性や信頼性も悪化、、、といったことにつながることは、社会としても市民としてもいいことではないでしょう。

当初、専門家らが考えたのは「いかに理解してもらうか(理解させるか)」というスタンスでした。

抵抗している人、受け入れない人は理解不足=基本的な知識が足りないからだ、というスタンスを取りました。

「啓蒙」ということばはこのあたりからくるのでしょう(いまどきは「啓発」という表現を使います)。
1985年頃のことです。

しかし、この考え方は1991年には「欠如モデル」として批判を受けます。

関心あることとないことでは知識や情報の定着が異なるということから、その人達にとっての意味合いを重視する「文脈モデル」が提唱されます。

つまり、「科学的知識が増えれば科学への肯定的態度が増す」という仮説はそう簡単にはなりたたないということです。

伝える側の姿勢、意図、手法が問われ、信頼関係によってその結論がかわる時代になりました。

そのために、サイエンス・コミュニケーションが重視されるようになり、科学者らが立案提供する市民向けの講座が開かれたり、サイエンスカフェで話題を共有したりといった取り組みが行われるようになります。

また、メディアや政策への関わりが重要であるという気付きから、英国では科学者に一定期間メディアや議会で働く機会を与え、大学院にも科学コミュニケーション領域の専門コースが出来ました(1987年頃〜)。

そこでは、伝える際の傾向(感情的なものを好む等)、受け取る側のリテラシー、選択する表現や用語による影響、各セクターの相互作用などが研究され、よりよいコミュニケーションになるような提案が行われてきたということです。

残念ながら、日本ではこの領域がまだ十分発達しておらず、上記の欠如モデルから政策担当者や(医療者含めた)専門家が脱しきれていない部分があるのかなと思いました。

理論の時系列での整理、具体的な事例での解説、構成の工夫など、同時期に購入した他の本に比べてたいへん読みやすかったです。
(企画、構成も文章力以前にとても大切ですね)

特に第9章「伝える側の評価:科学技術ジャーナリズムを題材として」
第13章「科学者の社会的責任と科学コミュニケーション」
は勉強になりました。

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