ひょんな事から日野原重明先生(略してShig)とLawrence Tierney, Jr先生(略してLT)の対談(医学界新聞掲載予定)の司会をさせて頂く中で、お二人の女医に対する暖かい眼差しに触れる機会がありました。
LT:老年医学は,米国でも成長著しく,レジデントにも人気がある分野です。私は年々増えている女性医師が,この分野でもっと活躍できるのではないかと考えています。
Shig:同意。彼女たちの母親としての立場を支える環境が必要。
調度、その対談原稿を校正している時に、休憩に読んだ小関 智弘 (著) 「大森界隈職人往来」(岩波現代文庫―社会)にも暖かい母性に眼差しを感じさせる名文があったので紹介します。第7章「町工場の釜のめし」
時間給の無資格のパートタイマーとちがって、健保も失業保険もあるから、主婦たちには魅力だろう。その定時社員の主婦たちが、この昭和島には来てくれない。理由は、早退や遅刻が自由にできないということだった。子どもが急に病気をしたり、学校で怪我をしたりというようなことが、そうザラにあることではない。そうザラにあることではないけれど、母親はいつもそれを胸に入れて働いている。危険や不安に身構える姿勢は、母親となったときから本能的にそなわるものだ。家の近くの工場なら、機械油に汚れたエプロンの結び目をほどきながら、足はもう家や学校に向かって走っているだろう。あんなところにいったら、それが心配で安心して働いていられないという。そんな場合にはいつでも工場の車を飛ばしてあげる、といくら説得しても母親の心理は変わらない。自分の足で走れる距離というのが、叫べば声の届く距離というのが、それは工場の都合や役人の算盤ではじく距離とは別の物差しで、母親には存在する。
編集長:知らない良い作家が沢山おられます・・