幅広いジャンルでご活躍の岩田先生の新しい本(2012年10月の新刊)の紹介です。
感染症を一般の人や学生に語る人は絶対に手元にあったほうがよいと思います。
しかし、ぷぷっ ワハハ、と笑うツボがたくさんあるので、電車の中で読むときには注意をしたほうがよいです(編集部は、JRのなかで数回クールな視線を感じる羽目になりました!)
また将来、新聞記者はじめメディアで健康や医療を語ろうとする人にも必須の本ではないかと思います(今書いている皆さんもぜひ。参考になることがたくさん書かれていますよ)
実は、岩田先生がこの本で扱っているテーマは、一定の医学や疫学等の訓練を受けた人、感染症に俺は詳しいぜ、という認知のある方の知識を増やすものではありません。
そのような人たちが自分で困ったときに必要なのは別の情報ですし自分で探せます。
しかし。実際の仕事の中で課題となるのは、そういったバックグラウンドの無い人たちにいかに、議論の軸や枠組みを理解してもらいながら、情報を伝えるかということであり、たいへん時間と手間と根気のいる作業です。
口頭でやってもたいへんなことを、岩田先生は紙面上でやってみせているところがすごいのであります。
しかも、たいへんなことを健気にやっていると、それはそれでええかっこしい的に言われたりもするのだと思いますが、この本は本音オンリー、嫌われるの覚悟(というか、おそらくご本人は万人に好かれたい日和見人じゃないですが)で厚労省にも一般市民にも苦言たっぷり、そしてそれがストレートど真ん中なので面白いというか、すっと理解することにつながっています。
岩田マジックとでもよびましょう。
よくネットでみかける、小気味よくさらっと読者のツボだけおさえたエッセイを書き散らす人と違うのは、岩田先生が各案件について1次情報に当たっている点であります。
厚労省の議事録や資料を隅々まで読んでいることが分かります。細かな数字の書き換えにも気づいています(これはすごい)。
ちなみに、厚労省の資料を見に行くとわかりますが、「読んでほしくないのかもしれない」と思うほどに読みにくいレイアウト、PDFの羅列、改行やフォント数等の工夫のなさにびっくりします。
(目が疲れるし、視力に問題のある人のためにも、オーストラリア政府のHPのようにぽちっとボタンを押すと音声で聞こえるようにしてほしい)
「第一章 厚労省はレバ刺しをなぜ禁止したのか」
なんか議論が途中でずれちゃいましたねー(結論もね)、の根本はレバ刺しにかぎらずよくあるのですが、その病理について、人間の健康問題、アウトカムを論じるはずのところに、その専門家(臨床医)がいないですよという指摘。
(他の会議もそうですが)
話の展開の中で、その健康や生命のためというところから、いかに後ろ指をさされないかという委員(やそのバックの団体や組織)が背負っている保身がちらつく落としどころ(他の会議もそうですが)
結果として、誰のため何のためでしたっけ、ええ?といっているうちにパブコメで、しゃんしゃんと終わるお約束。
(岩田先生より辛口になってきたのでこのへんでやめる・・・)
岩田先生はこの章だけで、「病原菌がそこにいることと、病気になることはちがいますよ」を何度も何度も書いています。
耐性菌関係の対策などでも、お役所やメディアが根本的に誤解していることでありますが、会議の構成メンバー選択の時点でのシステムエラーも大きいのだとわかります。
「第二章 病気と菌の近くて遠い関係」
リスクコミュニケーション序論的な内容です。
「第三章 食べ物には危険がつきもの」
もやしもん的にいうと、菌がつきもの、なのかもしれませんが、第二章で紹介した概念について、具体的な菌名をあげながら、いかにリスクをゼロにするかを岩田先生が提案しています。
このあたりを電車の中で読む際は特に注意です。感染症マニアなあなたは吹き出すリスクが高い人。
(中略)さて、本章をここまでお読みいただいた皆さんは「ふざけんな」とか「ばかげたことを言うのもいい加減にしろ」とお怒りの方もおいでだと思います。もちろん、ぼくはふざけています(すみません)。
しかし、「リスクゼロ」をとことん希求するというのはこのようなふざけた、ばかげた行為なのです。
岩田先生は第一章で法律で禁止することによる弊害や問題を指摘しています。
そして、臨床医というスタンスでの対応の例をあげ、対象によって配慮すべき点をアドバイスする、ケーキならば食べてもいいよという人と、月に1回にしたらという人と、やめておいたほうがいいという人といる、その判断と助言がプロの仕事なのだと語ります。
思考停止にならないとは、具体的にはこういうことです。
厚労省や思考停止になりやすい人への警告もこの本にはたくさんあるのですが、「自分が責任をとりたくない」というモードになる傾向をもつ専門職側にも警告を上手にしているなあと思いました。
(マニュアルくれくれ病とかね・・)
第四章と第五章では、危ない危ないの反対側である、○○で健康だぜー的な話もリスクの認知の際におこるのと同様の問題があることを指摘。とある健康本の記載を丁寧に検証します。
(中略)また、こういう本の欠点を一々指摘するのは大人げない、みっともないと考える人も多いようです。しかし、このような無関心(complacency)さが、一般診療における患者と医療者の対話を困難にしています。健康に関する「仮説」が絶対的な真理に転化され、不毛な対立が生じます。だから、ぼくはプロの医者として、一般の人たちに妥当な健康情報が提供されているか、検証し、まじめに提言することは「大人げもあり、みっともある」大事なことだと思います。
(「沈黙は消極的な肯定」。誤解やデマの修正はだいじなのであります。)
第六章には放射能のリスクについても、ご自身の経験(安全神話のなかで思考停止していた)についてもふれながら、どのように考えを整理していくのかを丁寧に述べています。
(中略)安心するとは思考停止するということです。オカミや他の団体にすべてを任せ、自分は思考停止に陥り、事態を正確に把握できなくなってしまうことを意味しています。
「安全と安心」は皆の理想ではありますが、岩田先生は不安を否定しません。不安を受け入れ、思考し続けることを提案しています。
ただし、「不健全な不安」は有害で、その典型は陰謀論(別の思考停止になるわけですから)。
などなど、リスクコミュニケーションの(総論はわかるんだけど)具体的にどういうことか、自分は学生や患者さん、市民に何をどう語ればいいかなあ…と思っている人には非常に参考になる本だと思います。
「リスク」の食べ方: 食の安全・安心を考える (ちくま新書)筑摩書房
同じように、リスクについて語る際に参考になる1冊。感染症関係者は手元においておきたいですね。
予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)光文社
岩田先生のブログ、とTwitter: @georgebest1969
感染症を一般の人や学生に語る人は絶対に手元にあったほうがよいと思います。
しかし、ぷぷっ ワハハ、と笑うツボがたくさんあるので、電車の中で読むときには注意をしたほうがよいです(編集部は、JRのなかで数回クールな視線を感じる羽目になりました!)
また将来、新聞記者はじめメディアで健康や医療を語ろうとする人にも必須の本ではないかと思います(今書いている皆さんもぜひ。参考になることがたくさん書かれていますよ)
実は、岩田先生がこの本で扱っているテーマは、一定の医学や疫学等の訓練を受けた人、感染症に俺は詳しいぜ、という認知のある方の知識を増やすものではありません。
そのような人たちが自分で困ったときに必要なのは別の情報ですし自分で探せます。
しかし。実際の仕事の中で課題となるのは、そういったバックグラウンドの無い人たちにいかに、議論の軸や枠組みを理解してもらいながら、情報を伝えるかということであり、たいへん時間と手間と根気のいる作業です。
口頭でやってもたいへんなことを、岩田先生は紙面上でやってみせているところがすごいのであります。
しかも、たいへんなことを健気にやっていると、それはそれでええかっこしい的に言われたりもするのだと思いますが、この本は本音オンリー、嫌われるの覚悟(というか、おそらくご本人は万人に好かれたい日和見人じゃないですが)で厚労省にも一般市民にも苦言たっぷり、そしてそれがストレートど真ん中なので面白いというか、すっと理解することにつながっています。
岩田マジックとでもよびましょう。
よくネットでみかける、小気味よくさらっと読者のツボだけおさえたエッセイを書き散らす人と違うのは、岩田先生が各案件について1次情報に当たっている点であります。
厚労省の議事録や資料を隅々まで読んでいることが分かります。細かな数字の書き換えにも気づいています(これはすごい)。
ちなみに、厚労省の資料を見に行くとわかりますが、「読んでほしくないのかもしれない」と思うほどに読みにくいレイアウト、PDFの羅列、改行やフォント数等の工夫のなさにびっくりします。
(目が疲れるし、視力に問題のある人のためにも、オーストラリア政府のHPのようにぽちっとボタンを押すと音声で聞こえるようにしてほしい)
「第一章 厚労省はレバ刺しをなぜ禁止したのか」
なんか議論が途中でずれちゃいましたねー(結論もね)、の根本はレバ刺しにかぎらずよくあるのですが、その病理について、人間の健康問題、アウトカムを論じるはずのところに、その専門家(臨床医)がいないですよという指摘。
(他の会議もそうですが)
話の展開の中で、その健康や生命のためというところから、いかに後ろ指をさされないかという委員(やそのバックの団体や組織)が背負っている保身がちらつく落としどころ(他の会議もそうですが)
結果として、誰のため何のためでしたっけ、ええ?といっているうちにパブコメで、しゃんしゃんと終わるお約束。
(岩田先生より辛口になってきたのでこのへんでやめる・・・)
岩田先生はこの章だけで、「病原菌がそこにいることと、病気になることはちがいますよ」を何度も何度も書いています。
耐性菌関係の対策などでも、お役所やメディアが根本的に誤解していることでありますが、会議の構成メンバー選択の時点でのシステムエラーも大きいのだとわかります。
「第二章 病気と菌の近くて遠い関係」
リスクコミュニケーション序論的な内容です。
「第三章 食べ物には危険がつきもの」
もやしもん的にいうと、菌がつきもの、なのかもしれませんが、第二章で紹介した概念について、具体的な菌名をあげながら、いかにリスクをゼロにするかを岩田先生が提案しています。
このあたりを電車の中で読む際は特に注意です。感染症マニアなあなたは吹き出すリスクが高い人。
(中略)さて、本章をここまでお読みいただいた皆さんは「ふざけんな」とか「ばかげたことを言うのもいい加減にしろ」とお怒りの方もおいでだと思います。もちろん、ぼくはふざけています(すみません)。
しかし、「リスクゼロ」をとことん希求するというのはこのようなふざけた、ばかげた行為なのです。
岩田先生は第一章で法律で禁止することによる弊害や問題を指摘しています。
そして、臨床医というスタンスでの対応の例をあげ、対象によって配慮すべき点をアドバイスする、ケーキならば食べてもいいよという人と、月に1回にしたらという人と、やめておいたほうがいいという人といる、その判断と助言がプロの仕事なのだと語ります。
思考停止にならないとは、具体的にはこういうことです。
厚労省や思考停止になりやすい人への警告もこの本にはたくさんあるのですが、「自分が責任をとりたくない」というモードになる傾向をもつ専門職側にも警告を上手にしているなあと思いました。
(マニュアルくれくれ病とかね・・)
第四章と第五章では、危ない危ないの反対側である、○○で健康だぜー的な話もリスクの認知の際におこるのと同様の問題があることを指摘。とある健康本の記載を丁寧に検証します。
(中略)また、こういう本の欠点を一々指摘するのは大人げない、みっともないと考える人も多いようです。しかし、このような無関心(complacency)さが、一般診療における患者と医療者の対話を困難にしています。健康に関する「仮説」が絶対的な真理に転化され、不毛な対立が生じます。だから、ぼくはプロの医者として、一般の人たちに妥当な健康情報が提供されているか、検証し、まじめに提言することは「大人げもあり、みっともある」大事なことだと思います。
(「沈黙は消極的な肯定」。誤解やデマの修正はだいじなのであります。)
第六章には放射能のリスクについても、ご自身の経験(安全神話のなかで思考停止していた)についてもふれながら、どのように考えを整理していくのかを丁寧に述べています。
(中略)安心するとは思考停止するということです。オカミや他の団体にすべてを任せ、自分は思考停止に陥り、事態を正確に把握できなくなってしまうことを意味しています。
「安全と安心」は皆の理想ではありますが、岩田先生は不安を否定しません。不安を受け入れ、思考し続けることを提案しています。
ただし、「不健全な不安」は有害で、その典型は陰謀論(別の思考停止になるわけですから)。
などなど、リスクコミュニケーションの(総論はわかるんだけど)具体的にどういうことか、自分は学生や患者さん、市民に何をどう語ればいいかなあ…と思っている人には非常に参考になる本だと思います。
「リスク」の食べ方: 食の安全・安心を考える (ちくま新書)筑摩書房
同じように、リスクについて語る際に参考になる1冊。感染症関係者は手元においておきたいですね。
予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)光文社
岩田先生のブログ、とTwitter: @georgebest1969