5月19日に沖縄で開催された遠藤先生を偲ぶ会からすでに3カ月以上が立ちました。
EBICセミナーを初めて沖縄で開催した記念すべき日でもありました。
遠藤先生が可能にしてくださったのでしょう。たくさんの感染管理関係者の方が集まってくださいました。
その、遠藤先生を偲び、追悼の会を持った方々が作成した、写真&エッセイによる「遠藤和郎先生追悼集:Dr.Kazuo Endo Memorial Clip」
の在庫が多少残っており、追悼の集会などに参加できなかった方などでご希望の方に実費でお分けすることが可能との連絡をいただきました。
残部が限られているため、在庫が無くなり次第終了とさせていただきます。
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追悼集は1冊2000円(送料込)です。
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メールの返信には3日ほど、また発送には1週間ほどのご猶予をいただけますようお願いいたします。
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編集人代表は 富家恵海子(とみいええみこ)さん。『院内感染』の著者です。
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第1章 なぜ僕が感染症への興味を爆発させたか
「僕が臨床感染症を天職とするまで〜IDATEN Best Teacher's Awardでの講演から」遠藤和郎
「私と遠藤先生は広大な荒野のような感染症の臨床現場を守る戦友であった」喜舎場朝和(恩師)
「遠藤先生が残してくれた「和」の大切さを思い出します」青木眞 (感染症コンサルタント、OCH13期)
「毎日スメアの標本をコレクションした日々」平良恵貴(臨床検査技師)
「感染症医療や感染管理の世界のスティーブ・ジョブズ」富家恵海子(編集人代表)
第2章 中部病院での研修医時代
「中部病院の名を高めてくれた遠藤よ、本当にありがとう」真栄城優夫(元中部病院院長、外科部長)
「病院が働く人が守られなければ患者が守られる訳がない」市川靖史(横浜市大医学部 臨床腫瘍化学、OCH20期)
「おしゃれな努力家」竹熊与志 (熊本赤十字病院 OCH20期)
「百万本のバラの花束を 女医なーず特別名誉会員」依光たみ枝(沖縄県立八重山病院副院長)
「3月21日生まれ、O型」平良弘子(沖縄県立中部病院 救急室看護師長)
第3章 宮古島で
「感染管理活動の黎明期 宮古病院で感染管理委員会を立ち上げる」高江洲 均(元宮古病院院長)
「なあ、遠藤、おまなら、どう思う?」橋口幹夫(沖縄県立中部病院総合周産期母子医療センター 産科)
「患者と1対1の仕事だけでなく、1対多数の公衆衛生的な視点があった」宇座達也(まえはら内科)
「僕に夢をなげかけてくれた君に完敗/乾杯」 石垣昌伸(沖縄県立宮古病院)石垣智子(ぬーは農園)
「仕事は楽しくすべき。諦めないこと。人を大事にすること。思い出の宝箱から」奥濱杖子(沖縄県立宮古病院)
「楽しかったあの頃」佐久川和子(まえはら内科)
「気づきは感動をうむ。小さなことに気づく人はたくさん感動できる」佐渡山英子(沖縄県立宮古病院)
第4章 やんちゃな子供時代
「「スポーツ万能」、3人京大の長男で「親分肌」そして「導火線が少々短い」」大久保 桂(小学校の同級生)
「駅のホームでスケボー、猿も木から落ち類、こけて骨折 ああ」 西田圭太(中学時代の友人)
「ありがとう「お兄さん」」遠藤拓郎(スリープクリニック理事長、スリプクリニック調布院長)
「あまり話さなくてもどこか同じ価値観 迷ったら勧めてくれた本読むよ」遠藤悟郎(実弟)
「難しい回答を出すよりまず時点や参考書を使っての調べ方を学んでもらいました」小川艶子(幼少期の塾の先生)
「遠藤和郎先生と『楡家の人々』」青木信彦(東京都立多摩総合医療センター院長 ご母堂美智子先生の従姉弟)
第5章 武蔵野の青春−医学生としての慈恵時代−
「町の酔っ払いに志水の次郎長に例えて、大政、小政、と呼ばれた青春」岩井孝明(相模の中央病院、慈恵の同期生)
「水泳部、演劇部、フリスビーの青春。吉祥寺を飲み歩く」福本恵三(東京慈恵会医科大学 形成外科)
「日本風の集団調和主義に慣れることなく自分をはっきり持っていた」長谷川譲(東京慈恵会医科大学附属柏病院 脳外科)
「本質的に硬派、しかしあえて軟派を表に。そこが多くの人を引き付けた」松井 隆(ハワイ大学)
「感染症の分野で有名人の君を、俺の同級生なんだぜと自慢したよ。重責を担っている男という顔をしていたね」和田崇文(聖マリアンナ医科大学救命救急センター)
第6章 美ら海での生活
「ファンランで行こうぜ」田崎 聡
「父を思う」遠藤克己(長男)
「自慢の娘婿。はばかることなくもっともっとほめてあげたい。「仁」天に通ぜず」下地康嗣(奥様のお父様)
「朝仕事に出る前に「行ってくるぞ!」と必ず子どもたちと握手をしてから出かけていた」前田整一(子供たちの塾の先生)
第7章 中部病院での活躍
「病院組織の中では管理者資質を備えた 小さなヘラクレス」宮城征四郎 (群星沖縄研修センター)
「"患者の立場で医療を語れる医師になって帰ります。"」 平安山英盛 (前沖縄県立中部病院院長)
「人生50年を疾風怒涛のごとく駆け抜けた男」安治嶺 馨 (沖縄県立中部病院ハワイ大学卒後医学臨床研修事業団)
「幻の管理職」宮城良充(沖縄県立中部病院院長)
「たくましい後輩 中部病院継続発展に誰よりも意欲を燃やした運命の人」本竹秀光(中部病院心臓血管外科)
「チームワーク作りの達人でした」 菊池馨(沖縄県立中部病院 消化器科)
「SSIサーベイランスをわが国で最も早く開始したのは遠藤先生である」久田友治(琉球大学病院)
「ポリシーの先にはビジョンがあり、歳を経て彼が病院を采配する時代が来たら、イノベーティブなリーダーになっただろう」久島昌弘(沖縄県立中部病院)
「遠藤杯 温泉卓球大会はこれからも」 田場英治(沖縄県立中部病院薬局長)
「Think global Act local」宮里 均 (県立中部病院 腎臓内科 28期)
「『うちなー婿の後輩として忘れられないフォークダンスの思い出』」尾原晴雄 (県立中部病院 総合内科)
「遠藤先生の導いて下さったもの」後藤道彦 (アイオワ大学感染症科 38期)
「『背中を見せること、手を抜かないこと、きちんとすること、継続すること』は私の今の柱」森 博威(マヒドン大学)
「Endo spirit託された使命 さらに発展させ次世代に伝えていきます」谷口智宏(沖縄県立中部病院)
「先生が考えた中部病院の理念の一つ、Fine Team Work」宮里博子(沖縄県立中部病院最近検査室)
「颯爽とした『救急室での処置』」徳田安春(筑波大学附属病院 水戸地域医療教育センター総合病院 水戸協同病院)
「中部病院には今も遠藤先生がいます。手袋、ゴミ箱、注射用ワゴン、アルコール綿、留置針etc. どこを見ても」向井三穂子(沖縄県立中部病院 外来)
「遠藤先生の存在はまさしくライオンであった」島袋あや子(沖縄県立中部病院 ICN)
「内科医局の先生方は私の家族のような存在でした」与那覇友子(中部病院内科医局秘書)
「楽しく明るく仕事、問題や困難には真摯に、真っ向勝負」河原崎宏雄(聖マリアンナ医科大学)
第8章 感染管理の黎明期を共にして
「香港の学会でもジョギングを」尾家重治(山口大学医学部付属病院薬剤部)
「克己君、拓也君、お父様は優しさと信念の人でした」高橋 央(新ゆり内科)
「情熱のワクチン、知識のワクチン」矢野邦夫(浜松医療センター 副院長 感染症科)
「現場を見ながらきめ細やかな視点で指導、そして究極のB級グルメ」水谷哲/寺地つね子(大阪警察病院感染管理センター)
「日本の院内感染サーベイランスを広めるICPの会を共に設立」柴田 清(感染管理看護師)
「南アルプスのオヤマノエンドウに会いに」佐竹幸子(群馬大学医学部微生物学教室)
「『いつも他の人と比べているようなら、その人の人生はとても不幸だよね』」源河いくみ(東京ミッドタウンクリニック 内科・感染症科)
「遠藤先生いつも、いつも感謝しています」崎浜智子(沖縄県立中部病院感染症小委員会1期生 感染管理認定看護師)
「自分たちと同じくらいの年の人が、苦労して工夫しながら頑張っている話を聞く方がみんな参考になる」藤田烈(東京大学大学院医学系研究科生物統計学疫学・予防保健学分野)
「先生の周囲にはリンクナースの皆さまが和気あいあいと集まっており、会うたびにうらやましく思いました」家入裕子(山口県立看護大学 看護研修センター)
「遠藤先生に手を引っ張ってもらった坂出市立病院」中村洋之(坂出市立病院内科診療部長)
「先生の熱意や信念には強い感染力がありました。私もその影響を受けることができた幸せな一人です」坂本史衣(聖路加国際病院ICP)
第9章 広い異文化交流
「がんのん賛歌」相田一人(相田みつを美術館館長)
「流れ星が真横に流れて私たちの目の前でパチッと音を立てて消えた」稲福淳二郎(患者1号&かめやのご主人)
「病棟のボランティアでの出会い『幸せはいつも自分の心が決める』」木田アツ子(ゆいの会)
「私の窯場で過ごした一日」山本幸一(陶芸家)
「『クソッ、抜かれた。なんでこっちを向いて笑ったんだろう、ムカつく奴めっ」―ツールドおきなわで―」田崎聡(評論家)
「『ホント寂しいから、冷蔵庫やTVに名前をつけて話しかけているんですよ!キャサリン帰ったよ!って』」湯澤 毅(写真家)
第10章 遠藤ワールドを沖縄県全体に広げる
「沖縄県の離島診療は、沖縄県で研修をした医師の皆で支えるべきである」藤田次郎(琉球大学大学院 感染症・呼吸器・消化器内科学)
「遠藤先生の背中を追いかけて16年」星野慎一(沖縄県立北部病院)
「先生の魅力は大きな人間力 地0無の人材育成をシステムとして昇華」健山正男(琉球大学大学院 感染症・呼吸器・消化器内科学)
「『焦らず、慌てず、あきらめず、コツコツ一歩ずつ前進してください』」石井隆弘(沖縄協同病院内科)
「死亡診断書っていうのは患者さまがこの世で最後に受けとる文書だよ」豊川貴生(県立南部医療センター)
「沖縄に移住して孤軍奮闘していた私に手をさしのべてくれた先生」吉田貞夫(沖縄リハビリテーションセンター病院 内科)
「病院の理念を明文化し職員で共有しようと提案されたリーダーシップの人だった」宮良 忠(那覇市立病院 OCH27期生)
「つまずいた時は、遠藤先生が後ろからプッシュしてくれるような気がします」伊波千恵子(中アタマ病院 感染管理認定看護師)
「学会直前に発表内容を激務の間をぬってご指導いただいた」又吉 真(第18米空軍医療群カデナクリニック施設管理課)
「所属する病院以外の医療スタッフへの暖かい援助に感謝」森田美智子(元沖縄協同病院 医療安全管理室)
「職場ではお父さん 遠藤邸で開かれる遠藤塾は超楽しい」渡嘉敷智賀子(沖縄県立宮古病院 感染管理認定看護師)
「『なにしている!前に進まなくてどうする。小さな積み重ねが大きな力となるんだよ』の声が聴こえてきます」通事みさえ(県立八重山病院 看護師)
「『りかちゃん元気!』とどこでも声をかけてくれた。宴会部長とよばれたが少しは役に立ったかしら」石川りか(沖縄県立精和病院)
「先生といっしょに仕事ができて嬉しかった」八幡照幸(沖縄県立南部医療センター・こども医療センター検査科 細菌検査室)
「遠藤先生というスターに声をかけていただいて得意でした」石川美根子(豊見城中央病院 感染管理認定看護師)
「組織に貢献出来る人財(人材)が組織の宝となり楽しく朗働(労働)できる職場でありたい」石川由希(ハートライフ病院感染対策管理室)
「細菌検査室のことを常に気にかけてくれた先生」仲宗根 勇(琉球大学医学部付属病院検査部)
「『お前らは鳥の巣にいる雛か!自分で考えて行動しろ!!』」松山 亮(県立南部医療センター・こども医療センター 医療安全管理部 感染管理認定看護師)
「先生の思いに応えるべく一審に清掃業務に取り組んだ」武村周児(沖縄美装管理株式会社 代表取締役)
第11章 遠藤ワールドを全国に広げる
「感染症、感染制御を通じての友人 20年来共に歩んできた」藤本卓司(市立境病院 総合内科)
「『教えることは学ぶこと』『手を抜けば手がかかる』いつも先生の教えがそばにある」成田 雅(太田西ノ内病院 OCH 29期)
「遠藤先生のIDATEN Best teacher's award ご受賞」本郷偉元(武蔵野赤十字病院感染症科 OCH30期)
「ずっと心の師として尊敬し その姿勢を見習い続けたいと思います」細川直登(亀田総合病院総合診療 感染症科)
「『病院感染サーベイランスの実践へ向けて』の情熱あふれる司会に強烈な印象を受けて」森兼啓太(山形大学医学部附属病院検査部・感染制御部)
「遠藤和郎先生は永遠のスーパースターです」白阪琢磨(国立病院機構大阪医療センター)
「現地・現物・現実の「三現手技」の重要性を強調」森澤雄司(自治医科大学附属病院 感染制御部・感染症科)
「研修医のことを心の底から愛していました」嶋崎鉄兵(横須賀市立うわまち病院 総合内科 OCH40期)
「『小児感染症は期待しているぞ』に応えること」堀越裕歩(東京都立小児総合医療センター感染症科)
「病院清掃を真面目に真剣に考えておられるドクターに初めてお会いできた」足立友秀(東栄部品株式会社代表取締役 田園調布学園大学)
第12章 インフルエンザ対策
「類いまれなるリーダーシップ」新里 敬(中頭病院感染症内科)
「『うつさない うつらない つぶさない』」糸数 公(八重山福祉保健所)
「知恵とユーモアでの新型インフルエンザ対策訓練」松野朝之(沖縄県中部保健所)
「遠藤先生の<和>の技法」高山義浩(沖縄県立中部病院)
第13章 大病と戦いながらも医療の未来を考える
「遠藤との約束 患者中心主義を実践していくこと」玉城和光(沖縄県立中部病院 内科 血液・腫瘍内科)
「闘病を自らの『学びの場』にしておられ さながら『遠藤教室』でした。先生のかけてくださる言葉に学び泣き、笑い、いやされました」原野謙一(日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科 OCH38期)
「私にとって嘘のつけない最高の『ボス』」椎木創一(沖縄県立中部病院 感染症内科)
「いつでも輝いていた良き先輩」篠崎裕子(沖縄県病院事業部 医療企画室)
「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る。良き人に近づけば・・・」塩谷泰一(高松市病院事業管理者)
「遠藤先生の声が聞こえます」屋良尚美(県立中部病院 緩和ケア認定看護師)
「『僕は最後まで絶対自分の命をあきらめない。しつこくねばってやれることは全部やろうと思っているんです』」山城紀子(フリーライター)
「沖縄にとっても日本にとっても、本当に必要とされる先生で、もっともっと学ばせていただきたかった」垂野香苗(国立がん研究センター中央病院 外科)
「『ランス・アームストロング』をご紹介」朝倉義崇(沖縄赤十字病院血液内科 OCH33期)
第14章 天国で私たちを応援してください
「貴重なアドバイスありがとう ニコニコして研修医と仕事しているよ」平田一仁(沖縄県立中部病院循環器内科)
「病気になった自分だからできる病院改革をやるんだ」西垂水和隆(今村病院分院 救急総合内科)
「多くの人を結びつけフットワーク軽くすぐ現場へ」知花なおみ(那覇市立病院 内科)
「先生の始めた感染管理の仕事がタンポポのように空を飛んで芽を出した」澤村匡史(済生会熊本病院 心臓血管医長)
「楽しかった環境感染学会前夜の前夜祭」丹下正一(前橋赤十字病院感染管理室 心臓血管内科)
「『天国で 清き瞳で 諭す師よ』」喜舎場朝雄(沖縄県立中部病院 呼吸器内科)
「患者中心の救命救急やっていきます」山田直樹(県立中部病院 救命救急科 40期)
「『しょうがねえな』あきれ顔で指導してくださった。神戸大学もあきらめずにがんばります」岩田健太郎(神戸大学医学部附属病院感染症内科)
「遠藤先生の人間性が、感染管理というひとつの時代を成功させた」森下幸子(感染管理認定看護師)
「私のかけがえのないメンター」玉城 仁(沖縄県立中部病院 呼吸器内科)
「『まずやりなさい』『まだわかんないならやってないんだよ』私に自信を与えてくれた」渡久地弘枝(南部医療センター)
「空気のような感染管理をめざしたい」兼島優子(沖縄県立中部病院 感染管理認定看護師)
「『忙しいという字は心を亡くすと書くのだよ。心を亡くさないように働くのが専門職でしょ』と一喝された」前原美代子(県立看護大学)
「やんばるで会いましょう」古我知憲康(沖縄県立北部病院 検査科)
「思い出のアクアパッツァ もう会えないなんて寂しい」吉嶺厚生(今村病院分院 総合内科)
「HIVが依頼はポジティブ外来 チームで患者の想いに寄り添って」福地奈月(南部医療センター)
「遠藤先生の教えはいつの世もぶれる事なく、感染管理における基盤であると痛感」伊藤まゆみ(大浜第一病院 医療安全管理室)
お母様から和郎さんへ「沖縄の人になった長男和郎さんのこと」遠藤美智子(精神科青木病院医師)
お礼の言葉 遠藤紀子
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感染症ケースファイル―ここまで活かせるグラム染色・血液培養谷口 智宏医学書院
EBICセミナーを初めて沖縄で開催した記念すべき日でもありました。
遠藤先生が可能にしてくださったのでしょう。たくさんの感染管理関係者の方が集まってくださいました。
その、遠藤先生を偲び、追悼の会を持った方々が作成した、写真&エッセイによる「遠藤和郎先生追悼集:Dr.Kazuo Endo Memorial Clip」
の在庫が多少残っており、追悼の集会などに参加できなかった方などでご希望の方に実費でお分けすることが可能との連絡をいただきました。
残部が限られているため、在庫が無くなり次第終了とさせていただきます。
ご希望の方はメールにて【 endo.kazuo.memorial@gmail.com 】に下記を記載の上お申し込みください。
1)送り先住所、所属部署名(施設の場合)、
2)申込者名
3)連絡先電話番号とメール
※特にトラブルがなければお問い合わせすることはありません
4)希望部数 (記載がない場合は1冊として対応します)
追悼集は1冊2000円(送料込)です。
※支払方法はお申込者に、メール受付完了時にお知らせいたします。
※個人の作業で受付や発送をしているため、対応に多少時間がかかります。
メールの返信には3日ほど、また発送には1週間ほどのご猶予をいただけますようお願いいたします。
この期間をすぎても返信が届かない場合、お手数ですが【 endo.kazuo.memorial@gmail.com 】までお知らせください。
※本件についてお知らせいただいた個人情報は本件のみで使用し、終了後消去いたします。
編集人代表は 富家恵海子(とみいええみこ)さん。『院内感染』の著者です。
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第1章 なぜ僕が感染症への興味を爆発させたか
「僕が臨床感染症を天職とするまで〜IDATEN Best Teacher's Awardでの講演から」遠藤和郎
「私と遠藤先生は広大な荒野のような感染症の臨床現場を守る戦友であった」喜舎場朝和(恩師)
「遠藤先生が残してくれた「和」の大切さを思い出します」青木眞 (感染症コンサルタント、OCH13期)
「毎日スメアの標本をコレクションした日々」平良恵貴(臨床検査技師)
「感染症医療や感染管理の世界のスティーブ・ジョブズ」富家恵海子(編集人代表)
第2章 中部病院での研修医時代
「中部病院の名を高めてくれた遠藤よ、本当にありがとう」真栄城優夫(元中部病院院長、外科部長)
「病院が働く人が守られなければ患者が守られる訳がない」市川靖史(横浜市大医学部 臨床腫瘍化学、OCH20期)
「おしゃれな努力家」竹熊与志 (熊本赤十字病院 OCH20期)
「百万本のバラの花束を 女医なーず特別名誉会員」依光たみ枝(沖縄県立八重山病院副院長)
「3月21日生まれ、O型」平良弘子(沖縄県立中部病院 救急室看護師長)
第3章 宮古島で
「感染管理活動の黎明期 宮古病院で感染管理委員会を立ち上げる」高江洲 均(元宮古病院院長)
「なあ、遠藤、おまなら、どう思う?」橋口幹夫(沖縄県立中部病院総合周産期母子医療センター 産科)
「患者と1対1の仕事だけでなく、1対多数の公衆衛生的な視点があった」宇座達也(まえはら内科)
「僕に夢をなげかけてくれた君に完敗/乾杯」 石垣昌伸(沖縄県立宮古病院)石垣智子(ぬーは農園)
「仕事は楽しくすべき。諦めないこと。人を大事にすること。思い出の宝箱から」奥濱杖子(沖縄県立宮古病院)
「楽しかったあの頃」佐久川和子(まえはら内科)
「気づきは感動をうむ。小さなことに気づく人はたくさん感動できる」佐渡山英子(沖縄県立宮古病院)
第4章 やんちゃな子供時代
「「スポーツ万能」、3人京大の長男で「親分肌」そして「導火線が少々短い」」大久保 桂(小学校の同級生)
「駅のホームでスケボー、猿も木から落ち類、こけて骨折 ああ」 西田圭太(中学時代の友人)
「ありがとう「お兄さん」」遠藤拓郎(スリープクリニック理事長、スリプクリニック調布院長)
「あまり話さなくてもどこか同じ価値観 迷ったら勧めてくれた本読むよ」遠藤悟郎(実弟)
「難しい回答を出すよりまず時点や参考書を使っての調べ方を学んでもらいました」小川艶子(幼少期の塾の先生)
「遠藤和郎先生と『楡家の人々』」青木信彦(東京都立多摩総合医療センター院長 ご母堂美智子先生の従姉弟)
第5章 武蔵野の青春−医学生としての慈恵時代−
「町の酔っ払いに志水の次郎長に例えて、大政、小政、と呼ばれた青春」岩井孝明(相模の中央病院、慈恵の同期生)
「水泳部、演劇部、フリスビーの青春。吉祥寺を飲み歩く」福本恵三(東京慈恵会医科大学 形成外科)
「日本風の集団調和主義に慣れることなく自分をはっきり持っていた」長谷川譲(東京慈恵会医科大学附属柏病院 脳外科)
「本質的に硬派、しかしあえて軟派を表に。そこが多くの人を引き付けた」松井 隆(ハワイ大学)
「感染症の分野で有名人の君を、俺の同級生なんだぜと自慢したよ。重責を担っている男という顔をしていたね」和田崇文(聖マリアンナ医科大学救命救急センター)
第6章 美ら海での生活
「ファンランで行こうぜ」田崎 聡
「父を思う」遠藤克己(長男)
「自慢の娘婿。はばかることなくもっともっとほめてあげたい。「仁」天に通ぜず」下地康嗣(奥様のお父様)
「朝仕事に出る前に「行ってくるぞ!」と必ず子どもたちと握手をしてから出かけていた」前田整一(子供たちの塾の先生)
第7章 中部病院での活躍
「病院組織の中では管理者資質を備えた 小さなヘラクレス」宮城征四郎 (群星沖縄研修センター)
「"患者の立場で医療を語れる医師になって帰ります。"」 平安山英盛 (前沖縄県立中部病院院長)
「人生50年を疾風怒涛のごとく駆け抜けた男」安治嶺 馨 (沖縄県立中部病院ハワイ大学卒後医学臨床研修事業団)
「幻の管理職」宮城良充(沖縄県立中部病院院長)
「たくましい後輩 中部病院継続発展に誰よりも意欲を燃やした運命の人」本竹秀光(中部病院心臓血管外科)
「チームワーク作りの達人でした」 菊池馨(沖縄県立中部病院 消化器科)
「SSIサーベイランスをわが国で最も早く開始したのは遠藤先生である」久田友治(琉球大学病院)
「ポリシーの先にはビジョンがあり、歳を経て彼が病院を采配する時代が来たら、イノベーティブなリーダーになっただろう」久島昌弘(沖縄県立中部病院)
「遠藤杯 温泉卓球大会はこれからも」 田場英治(沖縄県立中部病院薬局長)
「Think global Act local」宮里 均 (県立中部病院 腎臓内科 28期)
「『うちなー婿の後輩として忘れられないフォークダンスの思い出』」尾原晴雄 (県立中部病院 総合内科)
「遠藤先生の導いて下さったもの」後藤道彦 (アイオワ大学感染症科 38期)
「『背中を見せること、手を抜かないこと、きちんとすること、継続すること』は私の今の柱」森 博威(マヒドン大学)
「Endo spirit託された使命 さらに発展させ次世代に伝えていきます」谷口智宏(沖縄県立中部病院)
「先生が考えた中部病院の理念の一つ、Fine Team Work」宮里博子(沖縄県立中部病院最近検査室)
「颯爽とした『救急室での処置』」徳田安春(筑波大学附属病院 水戸地域医療教育センター総合病院 水戸協同病院)
「中部病院には今も遠藤先生がいます。手袋、ゴミ箱、注射用ワゴン、アルコール綿、留置針etc. どこを見ても」向井三穂子(沖縄県立中部病院 外来)
「遠藤先生の存在はまさしくライオンであった」島袋あや子(沖縄県立中部病院 ICN)
「内科医局の先生方は私の家族のような存在でした」与那覇友子(中部病院内科医局秘書)
「楽しく明るく仕事、問題や困難には真摯に、真っ向勝負」河原崎宏雄(聖マリアンナ医科大学)
第8章 感染管理の黎明期を共にして
「香港の学会でもジョギングを」尾家重治(山口大学医学部付属病院薬剤部)
「克己君、拓也君、お父様は優しさと信念の人でした」高橋 央(新ゆり内科)
「情熱のワクチン、知識のワクチン」矢野邦夫(浜松医療センター 副院長 感染症科)
「現場を見ながらきめ細やかな視点で指導、そして究極のB級グルメ」水谷哲/寺地つね子(大阪警察病院感染管理センター)
「日本の院内感染サーベイランスを広めるICPの会を共に設立」柴田 清(感染管理看護師)
「南アルプスのオヤマノエンドウに会いに」佐竹幸子(群馬大学医学部微生物学教室)
「『いつも他の人と比べているようなら、その人の人生はとても不幸だよね』」源河いくみ(東京ミッドタウンクリニック 内科・感染症科)
「遠藤先生いつも、いつも感謝しています」崎浜智子(沖縄県立中部病院感染症小委員会1期生 感染管理認定看護師)
「自分たちと同じくらいの年の人が、苦労して工夫しながら頑張っている話を聞く方がみんな参考になる」藤田烈(東京大学大学院医学系研究科生物統計学疫学・予防保健学分野)
「先生の周囲にはリンクナースの皆さまが和気あいあいと集まっており、会うたびにうらやましく思いました」家入裕子(山口県立看護大学 看護研修センター)
「遠藤先生に手を引っ張ってもらった坂出市立病院」中村洋之(坂出市立病院内科診療部長)
「先生の熱意や信念には強い感染力がありました。私もその影響を受けることができた幸せな一人です」坂本史衣(聖路加国際病院ICP)
第9章 広い異文化交流
「がんのん賛歌」相田一人(相田みつを美術館館長)
「流れ星が真横に流れて私たちの目の前でパチッと音を立てて消えた」稲福淳二郎(患者1号&かめやのご主人)
「病棟のボランティアでの出会い『幸せはいつも自分の心が決める』」木田アツ子(ゆいの会)
「私の窯場で過ごした一日」山本幸一(陶芸家)
「『クソッ、抜かれた。なんでこっちを向いて笑ったんだろう、ムカつく奴めっ」―ツールドおきなわで―」田崎聡(評論家)
「『ホント寂しいから、冷蔵庫やTVに名前をつけて話しかけているんですよ!キャサリン帰ったよ!って』」湯澤 毅(写真家)
第10章 遠藤ワールドを沖縄県全体に広げる
「沖縄県の離島診療は、沖縄県で研修をした医師の皆で支えるべきである」藤田次郎(琉球大学大学院 感染症・呼吸器・消化器内科学)
「遠藤先生の背中を追いかけて16年」星野慎一(沖縄県立北部病院)
「先生の魅力は大きな人間力 地0無の人材育成をシステムとして昇華」健山正男(琉球大学大学院 感染症・呼吸器・消化器内科学)
「『焦らず、慌てず、あきらめず、コツコツ一歩ずつ前進してください』」石井隆弘(沖縄協同病院内科)
「死亡診断書っていうのは患者さまがこの世で最後に受けとる文書だよ」豊川貴生(県立南部医療センター)
「沖縄に移住して孤軍奮闘していた私に手をさしのべてくれた先生」吉田貞夫(沖縄リハビリテーションセンター病院 内科)
「病院の理念を明文化し職員で共有しようと提案されたリーダーシップの人だった」宮良 忠(那覇市立病院 OCH27期生)
「つまずいた時は、遠藤先生が後ろからプッシュしてくれるような気がします」伊波千恵子(中アタマ病院 感染管理認定看護師)
「学会直前に発表内容を激務の間をぬってご指導いただいた」又吉 真(第18米空軍医療群カデナクリニック施設管理課)
「所属する病院以外の医療スタッフへの暖かい援助に感謝」森田美智子(元沖縄協同病院 医療安全管理室)
「職場ではお父さん 遠藤邸で開かれる遠藤塾は超楽しい」渡嘉敷智賀子(沖縄県立宮古病院 感染管理認定看護師)
「『なにしている!前に進まなくてどうする。小さな積み重ねが大きな力となるんだよ』の声が聴こえてきます」通事みさえ(県立八重山病院 看護師)
「『りかちゃん元気!』とどこでも声をかけてくれた。宴会部長とよばれたが少しは役に立ったかしら」石川りか(沖縄県立精和病院)
「先生といっしょに仕事ができて嬉しかった」八幡照幸(沖縄県立南部医療センター・こども医療センター検査科 細菌検査室)
「遠藤先生というスターに声をかけていただいて得意でした」石川美根子(豊見城中央病院 感染管理認定看護師)
「組織に貢献出来る人財(人材)が組織の宝となり楽しく朗働(労働)できる職場でありたい」石川由希(ハートライフ病院感染対策管理室)
「細菌検査室のことを常に気にかけてくれた先生」仲宗根 勇(琉球大学医学部付属病院検査部)
「『お前らは鳥の巣にいる雛か!自分で考えて行動しろ!!』」松山 亮(県立南部医療センター・こども医療センター 医療安全管理部 感染管理認定看護師)
「先生の思いに応えるべく一審に清掃業務に取り組んだ」武村周児(沖縄美装管理株式会社 代表取締役)
第11章 遠藤ワールドを全国に広げる
「感染症、感染制御を通じての友人 20年来共に歩んできた」藤本卓司(市立境病院 総合内科)
「『教えることは学ぶこと』『手を抜けば手がかかる』いつも先生の教えがそばにある」成田 雅(太田西ノ内病院 OCH 29期)
「遠藤先生のIDATEN Best teacher's award ご受賞」本郷偉元(武蔵野赤十字病院感染症科 OCH30期)
「ずっと心の師として尊敬し その姿勢を見習い続けたいと思います」細川直登(亀田総合病院総合診療 感染症科)
「『病院感染サーベイランスの実践へ向けて』の情熱あふれる司会に強烈な印象を受けて」森兼啓太(山形大学医学部附属病院検査部・感染制御部)
「遠藤和郎先生は永遠のスーパースターです」白阪琢磨(国立病院機構大阪医療センター)
「現地・現物・現実の「三現手技」の重要性を強調」森澤雄司(自治医科大学附属病院 感染制御部・感染症科)
「研修医のことを心の底から愛していました」嶋崎鉄兵(横須賀市立うわまち病院 総合内科 OCH40期)
「『小児感染症は期待しているぞ』に応えること」堀越裕歩(東京都立小児総合医療センター感染症科)
「病院清掃を真面目に真剣に考えておられるドクターに初めてお会いできた」足立友秀(東栄部品株式会社代表取締役 田園調布学園大学)
第12章 インフルエンザ対策
「類いまれなるリーダーシップ」新里 敬(中頭病院感染症内科)
「『うつさない うつらない つぶさない』」糸数 公(八重山福祉保健所)
「知恵とユーモアでの新型インフルエンザ対策訓練」松野朝之(沖縄県中部保健所)
「遠藤先生の<和>の技法」高山義浩(沖縄県立中部病院)
第13章 大病と戦いながらも医療の未来を考える
「遠藤との約束 患者中心主義を実践していくこと」玉城和光(沖縄県立中部病院 内科 血液・腫瘍内科)
「闘病を自らの『学びの場』にしておられ さながら『遠藤教室』でした。先生のかけてくださる言葉に学び泣き、笑い、いやされました」原野謙一(日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科 OCH38期)
「私にとって嘘のつけない最高の『ボス』」椎木創一(沖縄県立中部病院 感染症内科)
「いつでも輝いていた良き先輩」篠崎裕子(沖縄県病院事業部 医療企画室)
「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る。良き人に近づけば・・・」塩谷泰一(高松市病院事業管理者)
「遠藤先生の声が聞こえます」屋良尚美(県立中部病院 緩和ケア認定看護師)
「『僕は最後まで絶対自分の命をあきらめない。しつこくねばってやれることは全部やろうと思っているんです』」山城紀子(フリーライター)
「沖縄にとっても日本にとっても、本当に必要とされる先生で、もっともっと学ばせていただきたかった」垂野香苗(国立がん研究センター中央病院 外科)
「『ランス・アームストロング』をご紹介」朝倉義崇(沖縄赤十字病院血液内科 OCH33期)
第14章 天国で私たちを応援してください
「貴重なアドバイスありがとう ニコニコして研修医と仕事しているよ」平田一仁(沖縄県立中部病院循環器内科)
「病気になった自分だからできる病院改革をやるんだ」西垂水和隆(今村病院分院 救急総合内科)
「多くの人を結びつけフットワーク軽くすぐ現場へ」知花なおみ(那覇市立病院 内科)
「先生の始めた感染管理の仕事がタンポポのように空を飛んで芽を出した」澤村匡史(済生会熊本病院 心臓血管医長)
「楽しかった環境感染学会前夜の前夜祭」丹下正一(前橋赤十字病院感染管理室 心臓血管内科)
「『天国で 清き瞳で 諭す師よ』」喜舎場朝雄(沖縄県立中部病院 呼吸器内科)
「患者中心の救命救急やっていきます」山田直樹(県立中部病院 救命救急科 40期)
「『しょうがねえな』あきれ顔で指導してくださった。神戸大学もあきらめずにがんばります」岩田健太郎(神戸大学医学部附属病院感染症内科)
「遠藤先生の人間性が、感染管理というひとつの時代を成功させた」森下幸子(感染管理認定看護師)
「私のかけがえのないメンター」玉城 仁(沖縄県立中部病院 呼吸器内科)
「『まずやりなさい』『まだわかんないならやってないんだよ』私に自信を与えてくれた」渡久地弘枝(南部医療センター)
「空気のような感染管理をめざしたい」兼島優子(沖縄県立中部病院 感染管理認定看護師)
「『忙しいという字は心を亡くすと書くのだよ。心を亡くさないように働くのが専門職でしょ』と一喝された」前原美代子(県立看護大学)
「やんばるで会いましょう」古我知憲康(沖縄県立北部病院 検査科)
「思い出のアクアパッツァ もう会えないなんて寂しい」吉嶺厚生(今村病院分院 総合内科)
「HIVが依頼はポジティブ外来 チームで患者の想いに寄り添って」福地奈月(南部医療センター)
「遠藤先生の教えはいつの世もぶれる事なく、感染管理における基盤であると痛感」伊藤まゆみ(大浜第一病院 医療安全管理室)
お母様から和郎さんへ「沖縄の人になった長男和郎さんのこと」遠藤美智子(精神科青木病院医師)
お礼の言葉 遠藤紀子
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感染症ケースファイル―ここまで活かせるグラム染色・血液培養谷口 智宏医学書院