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Channel: 感染症診療の原則
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日本が天然痘で苦しんでいた時代の話

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平安時代ではなく1940年〜くらいの話ですよ。


疲れた時には歴史の本を読みます。
今の医療につながる原点に近い資料です。感染症関連の記載も多いのでお楽しみいただけるのではないかと。


『GHQサムス准将の改革 戦後日本の医療福祉政策の原点』(桐書房)

51ページ
われわれは、エキリ患者が発見されたと平賀中佐が伝えた伝染病院を視察した。駒込病院という大きな病院で、横浜の警察病院とは違って患者でいっぱいだった。

(木曜午前を担当している「駒込」病院)

64ページ
天然痘、腸チフス、赤痢、発疹チフスなどが、この人口の大移動で日本中に野火のように広がりだした。
私はこれらの疾病もコントロールしなければならなかった。また、食料、衣料、毛布などの直接的な物資や、日本人が自分の手で復興できるようになるまでの当座の住まいなどを準備してやらなければならなかった。
それは私の責任であり、その実際の行政を担当した厚生省の責任でもあった。こうした問題をどのように解決にしていったかを語るのが、この本の目的の一つである。

第6章「予防医学の導入」
恐れられた伝染病の拡大:
114ページ
野火のごとく急速に広がる伝染病の中で最も恐れられたのは天然痘であった。これは、当時のような状況下では、最も早く広がりうる疾病の一つであった。占領第一年目で、一万七千人以上の患者が出たのである。
これらに対処するため、われわれは血清、ワクチン、抗生物質その他の薬品を外国から輸入するよりもむしろ日本で製造する計画をたてた。これは、一つには、日本を自立させるためでもあった。(略)
天然痘の流行を押さえるに際して一番問題となったのは、占領初期に7300万人いた日本人に十分いきわたる量のワクチンの製造ができるかどうかであった。人口はその後も増加し、1951年には、新生児の誕生と650万人の帰還者とを加えて8450万人となった。日本は戦前から天然痘ワクチンを製造していたが、すべての他の生産設備と同様に、天然痘ワクチンの製造のための設備は実質的に機能を停止していた。

(このあと、発疹チフス、ジフテリア、破傷風、ポリオ等との闘いの歴史が記されています)

157ページ
1945年10月、占領軍は衛生の見地から性病届出の指令を日本政府に発した。(略)保健所制度の中に、性病の症状や治療方法について情報を与えてくれる併設性病診療所が設置された。一時、約1700の近代的な性病診療所が運営された。後にペニシリン生産能力も拡大されたので、淋病のみならず梅毒にも急速にペニシリンが用いられるようになった。加えて1948年7月、性病予防法が成立した。
(略)1950年以降には患者は激減した。それは抗生物質による、効果的な治療が可能となったからである。

当時の保健所、厚生省、医師会、看護師養成学校の様子などを学べます。


GHQサムス准将の改革―戦後日本の医療福祉政策の原点桐書房

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