「自分の数少ない経験から、誤った一般論を導き出すこと」(モンキークリニック 認知の歪み 解説シリーズ)
というのは日常生活でもよくあります。意識していると、「あ、いま極端なこと言った」と自分や他人の会話が気になりはじめます。
「Overgeneralization 極度の一般化」の特徴として、「always 常に」と「never 決して〜ない、絶対〜ない」の使い方が不適切。
少しの例から、全てがそれと同じ共通点を持つと考える「偏見」につながっている。 ということがあります。
話はそんなにシンプルじゃない、ということを接種の始まったインフルエンザワクチンで経験しました。
まず、確認です。
「しょうゆ」といってもキッコーマンからヤマサから、いろいろあるわけです。「りんご」や「なし」といっても、実際には産地や作り方、味まで違うものがあるわけです。
「とうふ」も木綿なのか絹なのか。
状況によっては一般化しないでどちらかを明確にしたほうが間違いが少ないということがあります。
評論する場面において、ざっくり「しょうゆ」「りんご」でいいのか考えてみてください。
-----------------------------
「あの〜インフルエンザのワクチンについてお聞きしたいんですけど」
はい。どのワクチンについてですか?
「え?どのですか・・・?いろいろあるんですか?」
はい。分け方もいろいろありますが、作り方でいうと「弱毒生」と「不活化」。種類で言うとメーカー別。それから、南半球と北半球では内容が違います。 注射のものと鼻にしゅっとやるスプレー式のものとあります。
「なるほど。では、日本にある注射のワクチンについておたずねします。これってやっても意味ないから不要だと思うんですが」
意味がある/ない は何を軸に検討しますか?
誰にとってですか?
「日本人・・・というか・・・」
このワクチンはそもそも"全員に"お勧め、というワクチンではありません。
製品もそんなにたくさん製造されてません。
インフルエンザは数日安静にして治るので、ワクチンや治療は積極的にされていない国もあります。
しかし、だからといって、治療薬やワクチンそのものが「全く要らない」というわけではありません。
発症したら健康リスクの高い人、例えば高齢者や、心臓や呼吸器系の悪い人。喘息をもつ人は呼吸器系の感染症になると重症化したり合併症につながることもありますので、あなたのように健康な人が「自分はしません/要りません」という判断はできるとおもいますが、もともと健康リスクのある人たちのワクチン接種まで不要というのは極端ではないでしょうか。
「なるほど。たしかに、友人の子は高熱になるとひきつけをおこしたりするので、毎年接種をしています」
「では、元気なおとな(社会人)は不要なのではないでしょうか」
今までの話は個人の健康を守る話でしたが、ここからは集団や社会を守るという考え方もお話したいとおもいます。
インフルエンザは流行期には8週間前後は集団や地域で流行をします。
感染源となる人も増え、感染リスクも高まります。こういったリスクを全体として低くするために、皆で咳エチケットを守ったりワクチン接種など対策を複数してのぞむ、という考え方があります。
社会人や大人の学生のなかには、突然会社や学校を休むわけにはいかない、連続して休む訳には行かないという人もいます。予定がいっぱいつまっているからですね。
警察や自衛隊、病院で働く人はその機能を維持しなくてはなりません。
そういった人たちは、あらかじめできる対策をしておく責任がありますので、健康な人でも接種が勧められています。
接種の出来ない小さな赤ちゃんや、病気をもっている高齢者を守るために、同居家族が接種して発症や重症を予防するという考え方もあります。倒れたら育児や介護の手が足りなくなってしまうことにもつながるからですね。
「そうですか。でもせっかくしても効かない、意味ないって聞いたんですが」
○×、ゼロか百という話は雑になりますので、もう少し具体的に教えてさい。どなたから聞いた話ですか?
「友人が、ワクチン接種をしたらインフルエンザになった、といっていました。ワクチンのせいでなったと」
日本にいまある不活化ワクチンでワクチン接種そのものによってなるという検討はしにくいのではないでしょうか。
あと影響するのは時期です。
早い人は10月から接種します。これは効果を得るために2ー3週間かかるためです。
12月の流行期の場合は、接種をする時点ですでに地域でウイルスがとびかっていますので、タイミングがずれると本来期待する効果も得られないということは確かにあると思います。
あと、インフルエンザが流行する時には、同じような症状の出るウイルスも100種類近くありますので、インフルエンザになったのか、他の冬のウイルス感染症にかかったのかわからないこともあります。
そのためだけに体調のそう悪くない人が受診をする意味はないですし(そもそもインフルエンザの薬をもらいたいわけでないなら)、軽症者が病院に来ると医療が破綻します。
「ワクチンは不要だ」という過度の一般化をしてもあまり得るものはありませんので、
もしもワクチンをしたくない、なるべくしないような提案をするという場合は、それに変わるような代替案を提案してはどうでしょうか。
例えば、体調不良の人が根性や努力で出社/登校するのはお互いのためにならないので休んでいただく。
そのかわり休むことで不利になったり後ろ指をさされない社会にする。
なおったことの証明書を病院にとりにいかせたりにしない。
(この時期、受診時に別のウイルスをもらったりするかもしれません)
それでも1シーズンに一定の規模で死亡や重症例が出るのがインフルエンザの特徴です。
シーズン前にはその本人も家族もまさかインフルエンザで死ぬとはおもってないでしょうけれど。
以下、略。
本当は、鼻にプシゅとやるワクチンの説明が続きました。
対象や目的効果が違うのですが国内には輸入ワクチンとして入っているだけで皆がアクセスはできません・・・
いつか認可されるのでしょうけど。
・・・と書いていたら、風疹ワクチンのことをきかれました。
米国の教科書に●●と書いてあるから、それでいいんですよね?です。
定番の教科書の記載は後ろにりファンレンスも充実していますし、大いに勉強になるのですが、上記と同じように米国でいっているワクチンと、日本で扱っているワクチンはそもそも製品として別物なので
同じに話をしていい部分と、よくわからない部分があることを知っておく必要はあります。
国内のワクチンの株は Takahashi株(北里)、Matsuura株(微研)、TO-336(武田)とあり、海外はまた独自に株をもっています。
Mumpsワクチンもなかなか定期化やMMRの話がすすまないのは、ワクチンに使う株の選定(や権利)での課題があるからです。
話を整理しないといけないときには、ていねいに情報を確認してからにしましょう。
というのは日常生活でもよくあります。意識していると、「あ、いま極端なこと言った」と自分や他人の会話が気になりはじめます。
「Overgeneralization 極度の一般化」の特徴として、「always 常に」と「never 決して〜ない、絶対〜ない」の使い方が不適切。
少しの例から、全てがそれと同じ共通点を持つと考える「偏見」につながっている。 ということがあります。
話はそんなにシンプルじゃない、ということを接種の始まったインフルエンザワクチンで経験しました。
まず、確認です。
「しょうゆ」といってもキッコーマンからヤマサから、いろいろあるわけです。「りんご」や「なし」といっても、実際には産地や作り方、味まで違うものがあるわけです。
「とうふ」も木綿なのか絹なのか。
状況によっては一般化しないでどちらかを明確にしたほうが間違いが少ないということがあります。
評論する場面において、ざっくり「しょうゆ」「りんご」でいいのか考えてみてください。
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「あの〜インフルエンザのワクチンについてお聞きしたいんですけど」
はい。どのワクチンについてですか?
「え?どのですか・・・?いろいろあるんですか?」
はい。分け方もいろいろありますが、作り方でいうと「弱毒生」と「不活化」。種類で言うとメーカー別。それから、南半球と北半球では内容が違います。 注射のものと鼻にしゅっとやるスプレー式のものとあります。
「なるほど。では、日本にある注射のワクチンについておたずねします。これってやっても意味ないから不要だと思うんですが」
意味がある/ない は何を軸に検討しますか?
誰にとってですか?
「日本人・・・というか・・・」
このワクチンはそもそも"全員に"お勧め、というワクチンではありません。
製品もそんなにたくさん製造されてません。
インフルエンザは数日安静にして治るので、ワクチンや治療は積極的にされていない国もあります。
しかし、だからといって、治療薬やワクチンそのものが「全く要らない」というわけではありません。
発症したら健康リスクの高い人、例えば高齢者や、心臓や呼吸器系の悪い人。喘息をもつ人は呼吸器系の感染症になると重症化したり合併症につながることもありますので、あなたのように健康な人が「自分はしません/要りません」という判断はできるとおもいますが、もともと健康リスクのある人たちのワクチン接種まで不要というのは極端ではないでしょうか。
「なるほど。たしかに、友人の子は高熱になるとひきつけをおこしたりするので、毎年接種をしています」
「では、元気なおとな(社会人)は不要なのではないでしょうか」
今までの話は個人の健康を守る話でしたが、ここからは集団や社会を守るという考え方もお話したいとおもいます。
インフルエンザは流行期には8週間前後は集団や地域で流行をします。
感染源となる人も増え、感染リスクも高まります。こういったリスクを全体として低くするために、皆で咳エチケットを守ったりワクチン接種など対策を複数してのぞむ、という考え方があります。
社会人や大人の学生のなかには、突然会社や学校を休むわけにはいかない、連続して休む訳には行かないという人もいます。予定がいっぱいつまっているからですね。
警察や自衛隊、病院で働く人はその機能を維持しなくてはなりません。
そういった人たちは、あらかじめできる対策をしておく責任がありますので、健康な人でも接種が勧められています。
接種の出来ない小さな赤ちゃんや、病気をもっている高齢者を守るために、同居家族が接種して発症や重症を予防するという考え方もあります。倒れたら育児や介護の手が足りなくなってしまうことにもつながるからですね。
「そうですか。でもせっかくしても効かない、意味ないって聞いたんですが」
○×、ゼロか百という話は雑になりますので、もう少し具体的に教えてさい。どなたから聞いた話ですか?
「友人が、ワクチン接種をしたらインフルエンザになった、といっていました。ワクチンのせいでなったと」
日本にいまある不活化ワクチンでワクチン接種そのものによってなるという検討はしにくいのではないでしょうか。
あと影響するのは時期です。
早い人は10月から接種します。これは効果を得るために2ー3週間かかるためです。
12月の流行期の場合は、接種をする時点ですでに地域でウイルスがとびかっていますので、タイミングがずれると本来期待する効果も得られないということは確かにあると思います。
あと、インフルエンザが流行する時には、同じような症状の出るウイルスも100種類近くありますので、インフルエンザになったのか、他の冬のウイルス感染症にかかったのかわからないこともあります。
そのためだけに体調のそう悪くない人が受診をする意味はないですし(そもそもインフルエンザの薬をもらいたいわけでないなら)、軽症者が病院に来ると医療が破綻します。
「ワクチンは不要だ」という過度の一般化をしてもあまり得るものはありませんので、
もしもワクチンをしたくない、なるべくしないような提案をするという場合は、それに変わるような代替案を提案してはどうでしょうか。
例えば、体調不良の人が根性や努力で出社/登校するのはお互いのためにならないので休んでいただく。
そのかわり休むことで不利になったり後ろ指をさされない社会にする。
なおったことの証明書を病院にとりにいかせたりにしない。
(この時期、受診時に別のウイルスをもらったりするかもしれません)
それでも1シーズンに一定の規模で死亡や重症例が出るのがインフルエンザの特徴です。
シーズン前にはその本人も家族もまさかインフルエンザで死ぬとはおもってないでしょうけれど。
以下、略。
本当は、鼻にプシゅとやるワクチンの説明が続きました。
対象や目的効果が違うのですが国内には輸入ワクチンとして入っているだけで皆がアクセスはできません・・・
いつか認可されるのでしょうけど。
・・・と書いていたら、風疹ワクチンのことをきかれました。
米国の教科書に●●と書いてあるから、それでいいんですよね?です。
定番の教科書の記載は後ろにりファンレンスも充実していますし、大いに勉強になるのですが、上記と同じように米国でいっているワクチンと、日本で扱っているワクチンはそもそも製品として別物なので
同じに話をしていい部分と、よくわからない部分があることを知っておく必要はあります。
国内のワクチンの株は Takahashi株(北里)、Matsuura株(微研)、TO-336(武田)とあり、海外はまた独自に株をもっています。
Mumpsワクチンもなかなか定期化やMMRの話がすすまないのは、ワクチンに使う株の選定(や権利)での課題があるからです。
話を整理しないといけないときには、ていねいに情報を確認してからにしましょう。