Quantcast
Channel: 感染症診療の原則
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3238

異常を期待しているように見える人たち

$
0
0
「確証バイアス」は、自分の都合の良い事実しか見ない信じないという認知のゆがみのひとつで、日常生活の中で誰もがもっていることです。

なので、何か決定をしなくてはいけないとか、それが生命や将来に影響を与えることだったり、他人に意見するようなときには、このバイアスの影響を受けた思考プロセスをしてないかなーとふりかえったり、苦言も惜しまずしてくれる友人などに、あえて別の見方を提示してもらって「ふむふむ、そういう見方もたしかにあるよね」的な時間をもったほうがいいわけです。

ある価値観やストーリーにはまったひとたちの言動は、冷静な第三者から見ると、「あら!」「あらー!」「どっひゃあ」的なものになっていることがあります。当の本人はストーリーのまっただ中にあるので、「おかしいよ」「違う情報は無視するの?」という周囲の苦言に耳を貸せません

耳を貸さない、が一般的な表現ではありますが、貸せない、貸すことができないお気の毒な状況におかれているとみるのが、近しい人がもつべき視点かと思います。こちらが助言すればするほどヒートアップしたりかたくなになったり。次第に周囲も怒ったりするわけですが、元々のその人の距離によっては、黙って去っていきます。一緒に泥の船に乗るわけにはいかないからです。浜辺にもどって、その人が沈んだ時の救命対応をはじめる人もいるのかもしれませんが。


それはその人の信条的な問題なのか、はたまた専門家のサポートが必要な病的な線をこえているのかの判断は難しいですが、一般の人にもわかりやすい指標としては、「日常生活が破綻している」ことがあります。

例えば、パソコンやゲームの前からはなれられず昼夜逆転して生活リズムが崩れて家族が困っている、本来すべきことをいち社会人として果たしていない(子どものケア、定時に会社に行く)、言動が乱暴になり、通常の社会人コミュニケーションとしては考えられない表現になっている、、、などです。

これは具体的に想像しやすいのではないかと思います。

また、確証バイアスに関連しますが、自分が想定している問題構造に何でも関連づけていきます。
簡単にいうと、○○は〜のせいだ、せいにちがいない、です。

例えば、感染症に関連した話なら、
 「風疹流行も、ノロも、インフルエンザも、ぜんぶ放射能のせい!」です。

もちろん、免疫と抵抗力という言葉をごっちゃにしていたり、季節トレンドのある感染症とそうでない感染症、地域や性別の特徴を無視しているわけですが、その人たちが「信用ならないマスコミ!」の出している情報だけで表面的に理解(誤解)しているための思考展開には苦笑するしかありません。

数年のグラフを見れば、冬にノロやインフルエンザが流行るのはお約束的なことですし、こんなにインフルエンザが!!!といっても昨年よりピークは低かったですし、風疹にいたってはなぜ東京の20-40代のおじさんたちだけ放射能由来の風疹だけの免疫低下に陥っているのかの説明はつきません。


本来、それが問題だからなんとかしようということならば、その問題解決に動く訳です。
「駅前の道路が汚いなあ」と思ったら、自分で掃除するか、掃除をするべき人たちの管轄部門に電話して指摘するなどの行動がそれです。
しかし、道路が汚いことについて根拠の無い想像をふくらませて(妄想といいます)、それを強化していく情報を集め始めます。

ときに仮想敵を作って、「それに立ち向かう私に」に陶酔していきます。この際仮想敵はなんでもよく、陶酔が維持されるストーリーを探します。ここへのハマり具合は個人差があって、自尊心感情や自己肯定感、自己承認欲求レベルなど様々なものが関与しているのは間違いありませんが、

病的だなあと感じる分岐点は、問題解決ではなく、その問題が大きくなるような、継続されるようなことを期待し始める時です。不幸の構造の証明としての犠牲者が必要だからです。
予定調和的なストーリーほ欲します。

なんでもそうですが、自分のそれまでの言動を否定するのは苦痛を伴います。間違っていたとみとめるのは大変です。
それが出来る人は幸いです。
それができない人たちは残念ながらゼロにはなりません。

そのエネルギーがあるなら、なぜ具体的な解決策をとらないのかなと思われてしまうですが、罵ったり陰謀を言い続けることじたいがその人のライフやミッションになってしまっている人たちにはそれを奪われることは自己崩壊になりますので、周囲の苦言はじゃまなものでしかありません。
さらに病的になるとストーリーのねつ造までします。

このような現象に終わりがくるのか?ですが、ある宗教にはまって、そのあとやめて元の生活に戻ってきた人たちに、きっかけは何だったのかとたずねることくらいしか学べないように思います。

病的な人への介入は難しいです。専門家に自らアクセスすることも難しいからです。(周囲がとても困ってすすめても)
注意すべきは、その影響を受ける人が増えることです。

その意味では、病的な人は放っておこう、という態度だけではだめで、カウンターとなる正しい意見を、別スジから出していくことが必要になります。
専門家にはその役割があるわけで、専門外のことはさておき、自分のテリトリーの情報についてはwatchを続けていくことが大切ですね。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3238

Trending Articles