natural disasters islandsといわれる日本では、自然災害は小さなものから大きなものまでたくさんあり、時間の経過とともに、あるいは新しい衝撃的な災害の発生のために、その時々の痛みや思いが記憶のおく方にずずっとおいやられていくように感じます。
その地域の当事者の方達にとっては、今につながる課題も抱えていることはまちがいないのですが。
しかし、2011年3月の震災におきた原発事故は「おこらないはず」「想定外」にされてきた分、実際の被害以上に人々に変化をもたらしたようにおもいます。
実際、医療含めて科学や最新情報に通じるような方たちが「しまった、ノーマークだった」という忸怩たる思いとともに、勉強をはじめたり、現地に医療支援にでかけたりもしています。
病気のように、災害発生後は時間の経過とともに、人々の心理反応や社会/経済のたどるプロセスがあるといわれています(一般論)。
今回は、停電ふくめて都心部を含めて影響を受けた人も多かった事、インターネットで玉石混合情報が流れました。
情報判断は自己責任だと言われても、「専門家」の意見がそもそも異なっていたり、情報元の国や学会への不信とか、判断に困ったなあ以上に、本来信頼すべきものが信頼できない(信頼されない)悲しみと恐怖も経験しました。
最近、あの頃は・・・と振り返る機会が数人とあったのですが、大体同じようなことをいっていました。
【緊急期】
発災直後は、一応すべての情報を見渡した。日本語も英語もみていた。
数字自体は海外の専門機関をみていた。日本は「隠しているようだ」という情報もあり、また情報公開が遅れたので判断しようがなかった
家族だけ実家に帰した、家族で移動した、という選択も。
(よくわからないときはリスクをmaxに想定し、実現可能な範囲で対応をした)
【急性期】
英語や日本語での情報が増えてきたので、情報源を整理。「誰がいっているのか」「どんな仕事をしてきた人なのか」「どんな団体なのか」を確認しながら取捨選択。しかし、一応全部みていました。
発信者も情報受信者も、検証しにくい状況があったので、この時点でどの情報に重きをおいていくかは、その人の持っている知識でばらついて、このあとの展開の分かれ道のような風景をみました。
一応どの情報も見渡す中で気づきますが、異なるスタンスの専門家でもある部分は同じ意見であり、また極端に違うこともあり、「○○さん」というかたちで傾倒していく(そのほうが自分の判断を保留できるのでラクですが)あやうさもみました。
分かれ道というのは、定量的/定性的な数値をもとに状況判断をしていく人たちと、○○さんがこういっている式の発想から抜けられなくなる人たちです。
それとは別に、記者会見が減ったり、メディアの扱いが小さくなる中で関心も低下中(自然なことなのでしょうが)。
【stable期】
地震は日常化していますし、実際の福島第一原発は安心できるような状況ではありませんし、リスクを負いながら対応を続けている人たちの健康も忘れてはいけないことですし、最終処理施設の問題も片付いていないですし、決してstableとはいえないのでしょうが、短期的、中期的な戦略を考えるリーダーもいます。現地に定期的に入っている医療者や支援者から発信されている情報から、今すべきことは何か(あるいは、しなくていい心配や過剰な反応/語りとは何か)を学ぶことができます。
早くに定量的・定性的な判断のほうに戻っていけた人は、例えば、「放射能で日本国民の免疫が低下しまくっている!」というような話を見聞きした時に、そもそも免疫とは何をいうのか、そう判断している根拠は何かとか、1つ1つの検査結果の数字の意味がよくわかっている医療やサイエンス系の人たちでした。
その話を元に、冷静になっていった人もいれば、「医療者も科学者もグルだ、御用だ、民族滅亡だ、ぎゃおー」にいってしまったひとたちもいます。
ネットを見なければ心は平穏かもしれませんが、ネット情報をのぞくと、実際におきている問題や課題とは別に、いろいろな人の思惑含めて情報が錯綜していること、時に家族や友人関係まで壊すリスクなども知る事ができます。
「ツイッターで情報を集めながら、デマや科学性・根拠の乏しい情報に流されないようにするために(仮タイトル)」
http://togetter.com/li/355202
入手可能な情報をもとに検証をしてくださるひとたちもいます。
「PKAnzug氏による検証 『福島県の子供の病死者数が増えている』?」
http://togetter.com/li/308924?f=reco0
被災地支援や原発事故対処は、自分で1次情報を直接得る事は難しいと思いますが、2次的におきている情報混乱/誤解についての問題は、多少なりとも改善の努力が出来るかもしれないと、時間をかけて情報を整理発信している先生方をみていて思います(頭がさがります)。
風疹とかマイコプラズマの流行も百日咳も放射能のせい・・・・というネット情報を先週イロイロ読んだものですから。
その地域の当事者の方達にとっては、今につながる課題も抱えていることはまちがいないのですが。
しかし、2011年3月の震災におきた原発事故は「おこらないはず」「想定外」にされてきた分、実際の被害以上に人々に変化をもたらしたようにおもいます。
実際、医療含めて科学や最新情報に通じるような方たちが「しまった、ノーマークだった」という忸怩たる思いとともに、勉強をはじめたり、現地に医療支援にでかけたりもしています。
病気のように、災害発生後は時間の経過とともに、人々の心理反応や社会/経済のたどるプロセスがあるといわれています(一般論)。
今回は、停電ふくめて都心部を含めて影響を受けた人も多かった事、インターネットで玉石混合情報が流れました。
情報判断は自己責任だと言われても、「専門家」の意見がそもそも異なっていたり、情報元の国や学会への不信とか、判断に困ったなあ以上に、本来信頼すべきものが信頼できない(信頼されない)悲しみと恐怖も経験しました。
最近、あの頃は・・・と振り返る機会が数人とあったのですが、大体同じようなことをいっていました。
【緊急期】
発災直後は、一応すべての情報を見渡した。日本語も英語もみていた。
数字自体は海外の専門機関をみていた。日本は「隠しているようだ」という情報もあり、また情報公開が遅れたので判断しようがなかった
家族だけ実家に帰した、家族で移動した、という選択も。
(よくわからないときはリスクをmaxに想定し、実現可能な範囲で対応をした)
【急性期】
英語や日本語での情報が増えてきたので、情報源を整理。「誰がいっているのか」「どんな仕事をしてきた人なのか」「どんな団体なのか」を確認しながら取捨選択。しかし、一応全部みていました。
発信者も情報受信者も、検証しにくい状況があったので、この時点でどの情報に重きをおいていくかは、その人の持っている知識でばらついて、このあとの展開の分かれ道のような風景をみました。
一応どの情報も見渡す中で気づきますが、異なるスタンスの専門家でもある部分は同じ意見であり、また極端に違うこともあり、「○○さん」というかたちで傾倒していく(そのほうが自分の判断を保留できるのでラクですが)あやうさもみました。
分かれ道というのは、定量的/定性的な数値をもとに状況判断をしていく人たちと、○○さんがこういっている式の発想から抜けられなくなる人たちです。
それとは別に、記者会見が減ったり、メディアの扱いが小さくなる中で関心も低下中(自然なことなのでしょうが)。
【stable期】
地震は日常化していますし、実際の福島第一原発は安心できるような状況ではありませんし、リスクを負いながら対応を続けている人たちの健康も忘れてはいけないことですし、最終処理施設の問題も片付いていないですし、決してstableとはいえないのでしょうが、短期的、中期的な戦略を考えるリーダーもいます。現地に定期的に入っている医療者や支援者から発信されている情報から、今すべきことは何か(あるいは、しなくていい心配や過剰な反応/語りとは何か)を学ぶことができます。
早くに定量的・定性的な判断のほうに戻っていけた人は、例えば、「放射能で日本国民の免疫が低下しまくっている!」というような話を見聞きした時に、そもそも免疫とは何をいうのか、そう判断している根拠は何かとか、1つ1つの検査結果の数字の意味がよくわかっている医療やサイエンス系の人たちでした。
その話を元に、冷静になっていった人もいれば、「医療者も科学者もグルだ、御用だ、民族滅亡だ、ぎゃおー」にいってしまったひとたちもいます。
ネットを見なければ心は平穏かもしれませんが、ネット情報をのぞくと、実際におきている問題や課題とは別に、いろいろな人の思惑含めて情報が錯綜していること、時に家族や友人関係まで壊すリスクなども知る事ができます。
「ツイッターで情報を集めながら、デマや科学性・根拠の乏しい情報に流されないようにするために(仮タイトル)」
http://togetter.com/li/355202
入手可能な情報をもとに検証をしてくださるひとたちもいます。
「PKAnzug氏による検証 『福島県の子供の病死者数が増えている』?」
http://togetter.com/li/308924?f=reco0
被災地支援や原発事故対処は、自分で1次情報を直接得る事は難しいと思いますが、2次的におきている情報混乱/誤解についての問題は、多少なりとも改善の努力が出来るかもしれないと、時間をかけて情報を整理発信している先生方をみていて思います(頭がさがります)。
風疹とかマイコプラズマの流行も百日咳も放射能のせい・・・・というネット情報を先週イロイロ読んだものですから。