人生哲学マターが多い「みすず」本。そんな壮大なマターしょっちゅう考えていたら疲れますので、正直何度も読み返しているわけではありませんが、本棚に数冊並びます。
最近気になって手にとった本。
1冊目は『他者の苦しみへの責任』。
震災後、いくつかの媒体で紹介されていた本です。
とっておいた切り抜きを目にして、「あー忘れないようにしなくちゃ」というよりは、そのタイトルをみて、震災直後のCompassion fatigueを思い出したからです。
「現在の仕事を放って現地にはいけない」人が、通常はしないような額の寄付をしたり、いつもとは違う行動をとる中で、それはそれとして尊いことなのではありますが、第一義的な寄付行為だけでなく、その人自身が救われる大事なプロセスでもあると感じました。
『他者の苦しみへの責任』というタイトルは、第一印象が、あんたにも責任あんのよ、わかってる?的なうっとうしさでした(正直)。読後感の中にそれは多少あるのですが、このようなしんどいアプローチの記述を仕事としている人たちのミッションや意図はなんだろうと思ってやはり買って読んでしまったわけです。はい。
執筆者のバックグラウンドは人類学。
アーサー・クラインマン (『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』)、ジョーン・クラインマン、ヴィーナ・ダス、ポール・ファーマー(リンク下記)、マーガレット・ロック、E・ヴァレンタイン・ダニエル、タラル・アサド
内容:
遠くの苦しみへの接近とメディア
「苦しむ人々・衝撃的な映像――現代における苦しみの文化的流用」
声なき者の表現を掘り起こす/インド・パキスタン
「言語と身体――痛みの表現におけるそれぞれの働き」
トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ
「人々の「苦しみ」と構造的暴力――底辺から見えるもの」
医療テクノロジーと人権/日本
「「苦しみ」の転換――北米と日本における死の再構築」
移民の苦しみのありか/スリランカ・英国
「悩める国家、疎外される人々」
抑圧装置の解体
「拷問――非人間的・屈辱的な残虐行為」
たいへん重たいタイトルとテーマであるので、読む前に水谷先生の書評をよむことをおすすめします。
他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知るみすず書房
例えば、医療等の援助職は、他者の「痛み」「苦しみ」について、「何ができるか」「何をなすか」という問いをベースに思考を展開します。
この本で問われている「責任」とは。
他者の「痛み」「苦しみ」をつくりだしている原因を考え、その「原因」に対して「わたし(たち)」はどのような「責任」があるのかという、上の思考よりもさらに彼我の距離を直視する問いかけになっています。
問いかけられても困るんだけど、と思う人もいれば、できる範囲でできることをしよう、と思う人もいれば、よし!と具体的なアクションをすぐとるような人もいるのでしょう。
解説は池澤夏樹氏。
「聖人になれと言われてなれなかった時、人は自分を恥じるのではなく、聖人を批難することで自分のふるまいのアリバイを作る。聖人への共感と反発はじつは紙一重なのだ。ケヴィン・カーターの写真は実際ピューリツァー賞に値する名作だった。われわれの置かれた状況を見事に説明していた。見る者は惹(ひ)きつけられると同時に居心地の悪さを覚え、苛(いら)立ち、それを写真家にぶつけた。・・・」
居心地悪さ感をあえて確認、に意味があったのかも。
もう1冊は上の本の中で「トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ」を書いた著者の本。
他の著者と比較して際立っていた「怒り」。
岩田先生のブログでも紹介されていたPaul Edward Farmer医師/人類学者の本です。非営利団体Partners in Health (PIH)の創始者として有名です。(ちなみに奥さんはハイチの方だそうです)
権力の病理 誰が行使し誰が苦しむのか―― 医療・人権・貧困みすず書房
岩田先生「「権力の病理」はファーマーの怒りの告発書である。彼はぼくらの意識が「遠くにある」貧者に対して弱すぎると怒る。」
その通りなのです。
仕事の中での「怒り」ってどんなものを感じますか?
対事務方? 上司? 同僚? コメ? 患者家族? 行政?
ずっと怒ってはいられないので、様々な規制が働いてその感情はクールダウンしていくのですけれども。
以前、尊敬する感染症の先生に言われた、「その怒りを忘れないように」「何かを変えるときに一番力となるのは怒りのパワーだから」という言葉。
怒っている自分に疲れたりごまかしたり、怒らないようにしていく中でうすらいだり失っているものを岩田先生の記事を読んで思い出したしだいです。
まあ、自分の力にはなるのですが、周囲にそれがダイレクトにポジティブな影響があるということではないのがムズカシイ。どちらかというと他人の感情的なものは扱いにくいものなので、ひかれてしまわないよう、戦略も必要なわけです(^^)。
でも、ジーンときます。本気で怒ってる人。その人のミッションとパッションが見えた時。
Partner to the Poor: A Paul Farmer Reader (California Series in Public Anthropology)クリエーター情報なしUniversity of California Press
ファーマ―先生の活動については『Mountains Beyond Mountains: The Quest of Dr. Paul Farmer, a Man Who Would Cure the World』(2004年)に紹介されています(ベストセラー)。
Mountains Beyond Mountains: The Quest of Dr. Paul Farmer, a Man Who Would Cure the WorldRandom House Trade Paperbacks
(日本語版もあるそうです)
日本の震災は大きかったですが、もともとの経済力やインフラ整備力、海外の支援で回復も進んでいます。ハイチは地震、コレラ流行等でずっと苦しい状態が続いていますが、日本人の多くはそのことを知らないし、メディアも伝えていない。
10万リットルの補液
感染症関連の記事として別途書きたいと思っています。
最近気になって手にとった本。
1冊目は『他者の苦しみへの責任』。
震災後、いくつかの媒体で紹介されていた本です。
とっておいた切り抜きを目にして、「あー忘れないようにしなくちゃ」というよりは、そのタイトルをみて、震災直後のCompassion fatigueを思い出したからです。
「現在の仕事を放って現地にはいけない」人が、通常はしないような額の寄付をしたり、いつもとは違う行動をとる中で、それはそれとして尊いことなのではありますが、第一義的な寄付行為だけでなく、その人自身が救われる大事なプロセスでもあると感じました。
『他者の苦しみへの責任』というタイトルは、第一印象が、あんたにも責任あんのよ、わかってる?的なうっとうしさでした(正直)。読後感の中にそれは多少あるのですが、このようなしんどいアプローチの記述を仕事としている人たちのミッションや意図はなんだろうと思ってやはり買って読んでしまったわけです。はい。
執筆者のバックグラウンドは人類学。
アーサー・クラインマン (『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』)、ジョーン・クラインマン、ヴィーナ・ダス、ポール・ファーマー(リンク下記)、マーガレット・ロック、E・ヴァレンタイン・ダニエル、タラル・アサド
内容:
遠くの苦しみへの接近とメディア
「苦しむ人々・衝撃的な映像――現代における苦しみの文化的流用」
声なき者の表現を掘り起こす/インド・パキスタン
「言語と身体――痛みの表現におけるそれぞれの働き」
トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ
「人々の「苦しみ」と構造的暴力――底辺から見えるもの」
医療テクノロジーと人権/日本
「「苦しみ」の転換――北米と日本における死の再構築」
移民の苦しみのありか/スリランカ・英国
「悩める国家、疎外される人々」
抑圧装置の解体
「拷問――非人間的・屈辱的な残虐行為」
たいへん重たいタイトルとテーマであるので、読む前に水谷先生の書評をよむことをおすすめします。
他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知るみすず書房
例えば、医療等の援助職は、他者の「痛み」「苦しみ」について、「何ができるか」「何をなすか」という問いをベースに思考を展開します。
この本で問われている「責任」とは。
他者の「痛み」「苦しみ」をつくりだしている原因を考え、その「原因」に対して「わたし(たち)」はどのような「責任」があるのかという、上の思考よりもさらに彼我の距離を直視する問いかけになっています。
問いかけられても困るんだけど、と思う人もいれば、できる範囲でできることをしよう、と思う人もいれば、よし!と具体的なアクションをすぐとるような人もいるのでしょう。
解説は池澤夏樹氏。
「聖人になれと言われてなれなかった時、人は自分を恥じるのではなく、聖人を批難することで自分のふるまいのアリバイを作る。聖人への共感と反発はじつは紙一重なのだ。ケヴィン・カーターの写真は実際ピューリツァー賞に値する名作だった。われわれの置かれた状況を見事に説明していた。見る者は惹(ひ)きつけられると同時に居心地の悪さを覚え、苛(いら)立ち、それを写真家にぶつけた。・・・」
居心地悪さ感をあえて確認、に意味があったのかも。
もう1冊は上の本の中で「トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ」を書いた著者の本。
他の著者と比較して際立っていた「怒り」。
岩田先生のブログでも紹介されていたPaul Edward Farmer医師/人類学者の本です。非営利団体Partners in Health (PIH)の創始者として有名です。(ちなみに奥さんはハイチの方だそうです)
権力の病理 誰が行使し誰が苦しむのか―― 医療・人権・貧困みすず書房
岩田先生「「権力の病理」はファーマーの怒りの告発書である。彼はぼくらの意識が「遠くにある」貧者に対して弱すぎると怒る。」
その通りなのです。
仕事の中での「怒り」ってどんなものを感じますか?
対事務方? 上司? 同僚? コメ? 患者家族? 行政?
ずっと怒ってはいられないので、様々な規制が働いてその感情はクールダウンしていくのですけれども。
以前、尊敬する感染症の先生に言われた、「その怒りを忘れないように」「何かを変えるときに一番力となるのは怒りのパワーだから」という言葉。
怒っている自分に疲れたりごまかしたり、怒らないようにしていく中でうすらいだり失っているものを岩田先生の記事を読んで思い出したしだいです。
まあ、自分の力にはなるのですが、周囲にそれがダイレクトにポジティブな影響があるということではないのがムズカシイ。どちらかというと他人の感情的なものは扱いにくいものなので、ひかれてしまわないよう、戦略も必要なわけです(^^)。
でも、ジーンときます。本気で怒ってる人。その人のミッションとパッションが見えた時。
Partner to the Poor: A Paul Farmer Reader (California Series in Public Anthropology)クリエーター情報なしUniversity of California Press
ファーマ―先生の活動については『Mountains Beyond Mountains: The Quest of Dr. Paul Farmer, a Man Who Would Cure the World』(2004年)に紹介されています(ベストセラー)。
Mountains Beyond Mountains: The Quest of Dr. Paul Farmer, a Man Who Would Cure the WorldRandom House Trade Paperbacks
(日本語版もあるそうです)
日本の震災は大きかったですが、もともとの経済力やインフラ整備力、海外の支援で回復も進んでいます。ハイチは地震、コレラ流行等でずっと苦しい状態が続いていますが、日本人の多くはそのことを知らないし、メディアも伝えていない。
10万リットルの補液
感染症関連の記事として別途書きたいと思っています。