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Channel: 感染症診療の原則
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西郷どん時代の医学と感染症

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日曜日です。
東京はひどく寒くなったり暖かくなったり花粉がばんばん飛んでいたり(と、花粉症の人がいう)、いつものそわそわフワフワ落ち着かない3月半ばです。

今年の大河ドラマは「西郷どん」。せごどん と読むと教えてくれたのは講義ででかけた鹿児島のタクシーの運転手さんです。
始まってしばらくは出演者の方の流暢な薩摩弁に「字幕や翻訳がいるのでは」というコメントがネットにありました。
先週の回では、西郷さんが江戸で道を尋ねたところ、早口な説明に何をいっているのかわかりもはーん、という場面がありました。

編集長も時々お招きいただく鹿児島といえば、田村先生率いる大隅鹿屋病院の研修医の皆さんへの講義、寺子屋企画でがんばっている能勢先生など、今の時代にも切り開く系リーダーがいて、力を感じる地域のひとつです。

歴史をちょっとふりかえると、日本が各国と和親条約を結び、時代が大きく動いていた時、医学もまた大きな岐路に立っていました。
各国の大使館の医師の情報から、日本の軸となる流れは(最終的に)ドイツの医学となりました。
このときドイツかイギリスか、、という検討がありました。

1862年に来日した英国人医師ウィリアム・ウィリス1862年の生麦事件の検死、1868年の戊辰戦争の際の傷病人の治療で活躍
西郷どん・大久保どん(?)の招聘で鹿児島にうつり、西洋医学を鹿児島で教えはじめます。
この西洋学校はもともと1774年に時の藩主・島津重豪によってつくられた医学院だそうです。

ちなみに東京慈恵会医科大学の創始者 高木兼寛先生
もここで学んだおひとりです。

関心がある方はぜひ鹿児島市医師会 ウイリアム・ウイリス生誕170 年
日本の医学教育史(1972)
もお読みください。



ドラマではでてこないかもですが、西郷どんと感染症のエピソードはよくしられています(フィラリアの感染による陰水腫と象皮病
現代の日本では診察室でお目にかかることはまずないのですが、編集長がかつて赴任していた沖縄の宮古島では、島民の健康を守るために対策がとられ、1978年には患者発生がゼロになり、その10年後に沖縄でフィラリア根絶宣言が行われました。

世界でみればまだまだ健康を害している人たちがたくさんいますので、国際保健や輸入感染症の勉強会等で学ぶチャンスがあるといいですね。

目黒の寄生虫館も感染症フリークへのおすすめスポットのひとつです。

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