2014年に話題になったエボラ。当時、「名前が悪いですよね〜濁音はよくないですよ。しかも3文字!」
といわれたことがあります。
その人は「エイズ、エボラ、デング。3文字の濁音よくないです」と続けました。
強そう怖そうということでしょうか。
たまたまじゃないの?!ですが、音声学に詳しい訳でもないので「そうかなー」とつも思いました。
(今後感染症に名前を付ける時は是非ご検討いただきたく)
余談ですが、、、日本では1例だけ一類感染症であるラッサ熱を経験していますが、外来や入院で対応をしたあとに、米国CDCで「かなり後から」ラッサ熱ですよとわかったわけです。
(2次感染はおきていません。事後パニックになった人がいたともきいていません)
当時、この病気の名前を知る医療者もあまりいませんでしたので、「ラッサ熱です」といわれてもピンとこなかったかもしれません。
「SFTSって皆さんあまり怖がりませんよ?アルファベットの羅列でなんだかわからないですよね」
SFTSは現場レベルでは出血熱と同じように体液曝露に気をつける感染症ですが(韓国や中国で医療者に2次感染あり)、逆に言うとSFTSに対応できるならエボラやラッサも対応も整うといえます。
エボラかも?だとドキドキしちゃうけどSFTSはそこまででもない。
極度に緊張するとミスの原因になるので、その緊張を煽らない語りが必要なのですが、感染症はセンセーショナルに扱われやすいので、それに医療者も影響されてしまう。
HIV/AIDSで経験したことです。
当時のセンセーショナル情報に曝露した世代(40代以上)は今でもHIV陽性の患者さんに最初からかなりネガティブですが、若い医師や看護師はセンセーショナルではなくなったあとの情報で学んでいるので「数ある感染症のひとつですよね?」以上の反応をしないひとがほとんどです。
日本のHIV対応の歴史は青木編集長が生字引ですので、機会があったらぜひ一度そのヒストリーをきいてみてください。
まだ感染経路がわからなかったときは、アメリカでも患者さんの部屋に入って話をするときに息を止めながら会話したというようなエピソードも。
感染経路がわかったあとも、日本では宇宙服のようなPPEをして外来診療をしたいといっていた医師もいましたし、手袋採血なんか絶対に日本には定着しない!と断言していた看護の偉い人たちもいました。
病院のエレベーターに青木編集長が乗ると「君と私は同じエレベーターに乗っていてもいいのかね」と聞かれたり、患者さんの採血をするのも編集長、運ぶのも編集長という時代がありました。
と,書くと「ヒドいわー」と思われるでしょうが、ええ、実際ひどかったんです。
医療者が適切に対応できなかったことが、その後の混乱やstigmaをつくったことは反省をしなくてはいけませんし、今後の新しい感染症でメディアがぎゃおーーーーホラホラ怖がりましょうよ!となっても煽られないように取り組むためのいい勉強になったと思います(そうしないといけない)
そんななかでも患者さんの痛みを理解して診療の底上げをしてきた人たちがいたので今があります。
東京医大、駒込病院、旭中央病院。今も続いているネットワークの人たちが支えてきた医療です。
2016年の12月1日(世界エイズデー)はそういうことで、イベントにものっからず、支えてきた人たちを思い出しながら静かに過ごしました。過小でも過剰でもなくケアを提供できる時代になってよかった。
HIV診療の「リアル」を伝授します丸善出版
といわれたことがあります。
その人は「エイズ、エボラ、デング。3文字の濁音よくないです」と続けました。
強そう怖そうということでしょうか。
たまたまじゃないの?!ですが、音声学に詳しい訳でもないので「そうかなー」とつも思いました。
(今後感染症に名前を付ける時は是非ご検討いただきたく)
余談ですが、、、日本では1例だけ一類感染症であるラッサ熱を経験していますが、外来や入院で対応をしたあとに、米国CDCで「かなり後から」ラッサ熱ですよとわかったわけです。
(2次感染はおきていません。事後パニックになった人がいたともきいていません)
当時、この病気の名前を知る医療者もあまりいませんでしたので、「ラッサ熱です」といわれてもピンとこなかったかもしれません。
「SFTSって皆さんあまり怖がりませんよ?アルファベットの羅列でなんだかわからないですよね」
SFTSは現場レベルでは出血熱と同じように体液曝露に気をつける感染症ですが(韓国や中国で医療者に2次感染あり)、逆に言うとSFTSに対応できるならエボラやラッサも対応も整うといえます。
エボラかも?だとドキドキしちゃうけどSFTSはそこまででもない。
極度に緊張するとミスの原因になるので、その緊張を煽らない語りが必要なのですが、感染症はセンセーショナルに扱われやすいので、それに医療者も影響されてしまう。
HIV/AIDSで経験したことです。
当時のセンセーショナル情報に曝露した世代(40代以上)は今でもHIV陽性の患者さんに最初からかなりネガティブですが、若い医師や看護師はセンセーショナルではなくなったあとの情報で学んでいるので「数ある感染症のひとつですよね?」以上の反応をしないひとがほとんどです。
日本のHIV対応の歴史は青木編集長が生字引ですので、機会があったらぜひ一度そのヒストリーをきいてみてください。
まだ感染経路がわからなかったときは、アメリカでも患者さんの部屋に入って話をするときに息を止めながら会話したというようなエピソードも。
感染経路がわかったあとも、日本では宇宙服のようなPPEをして外来診療をしたいといっていた医師もいましたし、手袋採血なんか絶対に日本には定着しない!と断言していた看護の偉い人たちもいました。
病院のエレベーターに青木編集長が乗ると「君と私は同じエレベーターに乗っていてもいいのかね」と聞かれたり、患者さんの採血をするのも編集長、運ぶのも編集長という時代がありました。
と,書くと「ヒドいわー」と思われるでしょうが、ええ、実際ひどかったんです。
医療者が適切に対応できなかったことが、その後の混乱やstigmaをつくったことは反省をしなくてはいけませんし、今後の新しい感染症でメディアがぎゃおーーーーホラホラ怖がりましょうよ!となっても煽られないように取り組むためのいい勉強になったと思います(そうしないといけない)
そんななかでも患者さんの痛みを理解して診療の底上げをしてきた人たちがいたので今があります。
東京医大、駒込病院、旭中央病院。今も続いているネットワークの人たちが支えてきた医療です。
2016年の12月1日(世界エイズデー)はそういうことで、イベントにものっからず、支えてきた人たちを思い出しながら静かに過ごしました。過小でも過剰でもなくケアを提供できる時代になってよかった。
HIV診療の「リアル」を伝授します丸善出版