先日、編集長が一緒に韓国料理店でご飯を一緒に食べたナースが朝日新聞で紹介されていました。
さすが全国誌。すでにLINEやFacebookで昔の友人含めていろいろな人から「見たよ」連絡があるそうです。
(マラリア・キャリーはそのうちの一人による命名)
朝日新聞のシリーズ「患者を生きる」で、2008年に熱帯熱マラリア(しかも寄生率20%)になった経験を語っています。
記事に名前はありませんが、この企画に裏方として取材に協力したのは、あの中部ろうさい病院の藤田先生です。
ナースは入院先は覚えていましたが、さあ!自分の病気体験を語ろう・・・・にも詳細な記憶がなく、また主治医の名前を覚えていませんでした。
しかし。トヨタ記念病院といえば、昔、藤田先生がいたよなあ、、ということで思い出し、当時主治医であった研修医の名前をさがしてもらいました。
マラリアじたいが珍しい病気であったため、関係者も記憶に残っていたためすぐに主治医の先生がみつかりました。
そして、大学に戻られているということでお電話したところ取材協力が得られ、入院中の詳細な経過を把握できるようになりました。
情報開示についてのナースの同意書を記者が持参。
ご両親からも当時のことを取材したそうです。(それが1~3話)
詳細は上記リンク先でお読みください。
そして、その体験を生かすべく、爾見さんは検疫官として羽田空港で働いたあとに大曲先生や竹下先生、忽那先生のいる国立国際医療研究センターのトラベルクリニックで働いています。
海外に出かける人たちの健康を支援するために。
というのが連載のお話しと裏話。
実は続きがあるのだそうです(爾見ナース談)。
ギニアにダンス留学をしてマラリアになったの2008年ですが、爾見ナースは「もう一度あの村に行きたい!」ということで2012年10月に再度でかけることにしました。
10月・・・雨季です。雨季。
このときも日本でマラリアの予防薬をもらわなかったそうですが、それは「フランスかベルギーで買える」と思ったからだそうです。
しかし飛行機の乗り継ぎがギリギリとなりどちらでも買えないままガンビア経由でギニアのコナクリに到着。
さあ!ここで買わないといった先に薬局はないかも!と思って探そうとしたのですが、ついた日が日曜日。薬局はどこも閉まっていて入手できませんでした。
そして!ここからサンバララまでは乗り合いバスで24時間。女一人旅でしたが(勇気がありますね)、ここからは事前に連絡をしていたギニア人の友人が同行。
村に到着して薬局に行くと1つ薬剤はあったのですが「それ、ここでは耐性やろ?!」な薬でした。
「でも、飲まないよりましかなあ」と飲み始めたところ、すぐに吐き気。
「熱中症かな」と思いつつがんばっていましたが、あまりにつらそうだということで、隣の村の診療所につれていってくれたところ・・・
まず血圧を測ったところで「マラリアだね!」といわれる爾見さん。
(おいおい。ついてまだ数日・・・)
そして、あやしげな赤くて大きな丸い錠剤を渡されました(ビタミン剤とのことです)。
結局、元の薬をやめたら吐き気は止まったので薬の副作用だったよねーという話(2度目はマラリアにならなくてよかったですね)。
今は副作用の少ないマラロンがありますので(ちょっと高いですけど)、流行地へのお出かけの方はぜひご検討いただきたいとのことです。
余談ですが、、、帰国後に受診する患者さんに飲んでいた薬についてかいてもらうと「マカロン」と書く人がかなりいるとのことです。
安心してください。伝わっています。
爾見さんと同時期でかけていた人の中にも実はマラリアになった人がいました。
発熱⇒近くの診療所で風邪と言われる⇒39℃になり「よくならないんですけど」と受診⇒もっと大きな病院へいき、そこでもわからず、さらに大きな病院にいって発熱から4日後に診断されたとのことです。
お二人とも無事でよかったですね。
爾見さんの朝日新聞の記事を見て「予防」に熱くなる看護師さんが増えることを期待しています。
さすが全国誌。すでにLINEやFacebookで昔の友人含めていろいろな人から「見たよ」連絡があるそうです。
(マラリア・キャリーはそのうちの一人による命名)
朝日新聞のシリーズ「患者を生きる」で、2008年に熱帯熱マラリア(しかも寄生率20%)になった経験を語っています。
記事に名前はありませんが、この企画に裏方として取材に協力したのは、あの中部ろうさい病院の藤田先生です。
ナースは入院先は覚えていましたが、さあ!自分の病気体験を語ろう・・・・にも詳細な記憶がなく、また主治医の名前を覚えていませんでした。
しかし。トヨタ記念病院といえば、昔、藤田先生がいたよなあ、、ということで思い出し、当時主治医であった研修医の名前をさがしてもらいました。
マラリアじたいが珍しい病気であったため、関係者も記憶に残っていたためすぐに主治医の先生がみつかりました。
そして、大学に戻られているということでお電話したところ取材協力が得られ、入院中の詳細な経過を把握できるようになりました。
情報開示についてのナースの同意書を記者が持参。
ご両親からも当時のことを取材したそうです。(それが1~3話)
詳細は上記リンク先でお読みください。
そして、その体験を生かすべく、爾見さんは検疫官として羽田空港で働いたあとに大曲先生や竹下先生、忽那先生のいる国立国際医療研究センターのトラベルクリニックで働いています。
海外に出かける人たちの健康を支援するために。
というのが連載のお話しと裏話。
実は続きがあるのだそうです(爾見ナース談)。
ギニアにダンス留学をしてマラリアになったの2008年ですが、爾見ナースは「もう一度あの村に行きたい!」ということで2012年10月に再度でかけることにしました。
10月・・・雨季です。雨季。
このときも日本でマラリアの予防薬をもらわなかったそうですが、それは「フランスかベルギーで買える」と思ったからだそうです。
しかし飛行機の乗り継ぎがギリギリとなりどちらでも買えないままガンビア経由でギニアのコナクリに到着。
さあ!ここで買わないといった先に薬局はないかも!と思って探そうとしたのですが、ついた日が日曜日。薬局はどこも閉まっていて入手できませんでした。
そして!ここからサンバララまでは乗り合いバスで24時間。女一人旅でしたが(勇気がありますね)、ここからは事前に連絡をしていたギニア人の友人が同行。
村に到着して薬局に行くと1つ薬剤はあったのですが「それ、ここでは耐性やろ?!」な薬でした。
「でも、飲まないよりましかなあ」と飲み始めたところ、すぐに吐き気。
「熱中症かな」と思いつつがんばっていましたが、あまりにつらそうだということで、隣の村の診療所につれていってくれたところ・・・
まず血圧を測ったところで「マラリアだね!」といわれる爾見さん。
(おいおい。ついてまだ数日・・・)
そして、あやしげな赤くて大きな丸い錠剤を渡されました(ビタミン剤とのことです)。
結局、元の薬をやめたら吐き気は止まったので薬の副作用だったよねーという話(2度目はマラリアにならなくてよかったですね)。
今は副作用の少ないマラロンがありますので(ちょっと高いですけど)、流行地へのお出かけの方はぜひご検討いただきたいとのことです。
余談ですが、、、帰国後に受診する患者さんに飲んでいた薬についてかいてもらうと「マカロン」と書く人がかなりいるとのことです。
安心してください。伝わっています。
爾見さんと同時期でかけていた人の中にも実はマラリアになった人がいました。
発熱⇒近くの診療所で風邪と言われる⇒39℃になり「よくならないんですけど」と受診⇒もっと大きな病院へいき、そこでもわからず、さらに大きな病院にいって発熱から4日後に診断されたとのことです。
お二人とも無事でよかったですね。
爾見さんの朝日新聞の記事を見て「予防」に熱くなる看護師さんが増えることを期待しています。