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Channel: 感染症診療の原則
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『種痘伝来―日本の<開国>と知の国際ネットワーク』

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大河ドラマの「真田丸」が佳境にはいっています。
このあと15代にわたり約260年の間、徳川政権が続きます。
途中、海外の脅威に対して「鎖国」政策をとるわけですが、1853年に浦賀にペリーがやってきて開国、その後はこれまで以上にさまざまな感染症のリスクにさらされることになりました。(その話はまた別の記事で)

この本はそのはるか昔から存在し、一定の間隔をもってアウトブレイク、多くの子どもたちの命を奪ってきた天然痘と闘うためにつくられ広められた種痘がい日本にどのように伝わり普及したかの初期を伝えるものです。

その開発のプロセス、実際にどのようなルートをたどって日本に入ってきたのか。
入ってきてからどれくらいのスピードで各地に広がっていったのか。
インターネットや電話、コールドチェーンのような仕組みもない時代になぜそれは可能であったのか。

ぼんやり疑問に思っていたことが「そうだったのか!」と理解でき、部分的に知っていたことがつながる1冊です。
残された日記や医家の記録など、史実をもとに検証された内容を日本語で読めるのはとてもありがたいですね。

鎖国の間も、人々の命を救うための医学の情報は入ってきており、それを日本語に訳す人たちがいて、独占せずに横に広げるネットワークもありました。

この話題での大河ドラマもいずれみてみたいです。

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p.154 第6章 種痘医たち

「全国への伝播」

モーニッケがレフィスゾーンに手紙を書いた時点で、痘苗はすでに九州をはるかに超えて広がっていった。地図6-1は1849年における、長崎から他の地域や町への痘苗伝達の空間的広がりを示している。
痘苗は、数週間以内に日本の諸都市すなわち京都、大坂、福井、江戸へと到達し、これらの都市はたちまちのうちに近隣の町や村へのワクチン流通の拠点になった。
(略)
p.155
痘苗の伝播に関わった者の多くが、いつどこで誰から痘苗をもらい受けたか、そしてどのようにそれを扱ったかを正確に記録している。(略)したがって彼らは、痘苗の移送状況と所在の監視を怠らず、それを要請するいかなる公的機関も存在しないままに、牛痘種痘の成功例と失敗例を記録した。これらの多くは地方の文書館に保存されている。
(略)
p.160
日本の医学史家によると、牛痘種痘は痘苗の到着6か月以内すなわち1949年の末までに日本のすべての国々に導入されていたという。
(略)
p.161
これほどまでに詳細な記録を残す必要があったのだろうか?その答えは、種痘医たちが直面した種痘事業の性格と密接にかかわっている。人伝法がこどもに牛痘種痘を施すために信頼できる唯一の方法であった以上、直近に牛痘種痘を受けたこどもが痘苗の唯一の供給源であった。これらの子どもは診察を受けるため、再度種痘所に来るよう求められた。
牛痘接種が「ついた」場合、彼らは他の子どもが牛痘種痘を受けられるように、生きた痘苗を提供することを求められた。牛痘種痘所を成功させるには、将来の牛痘提供者と被接種者の出入りを、きわめて綿密に監督する必要があった。というのは牛痘種痘による痘からの痘漿を採るための最適の時期は、牛痘種痘後8日目あたりのきわめて限られた期間であったからである。正確な記録が牛痘種痘所の効果的運営に不可欠であることは明白であり、日本の優れた牛痘種痘の記録は、牛痘種痘の施療者が自分たちの責務を熟知していたことを示している


「大衆を説き伏せる」

p.168
親たちの恐怖心は所与の前提であった。天然痘に対する恐怖は、教えられるまでもないことであった。信頼は闘って勝ち取られなければなかったのである。
桑田立斎は一般大衆の支持を得るための努力という点で、種痘医たちの中でも最も創意に富んでいたのではなかろうか。それはおそらく彼が、親と子の願いや恐怖と常に向き合ってきた小児科医だったからである。(略)彼は新しい外来の医術に対する恐怖を鎮めるために、天然痘の悪鬼から子どもを救い出す菩薩などの通俗的な絵を自著に掲載した。
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全体の中でそして終章で筆者が繰り返して評価しているのは、小さな医学者の集団が天然痘による死亡を防ぎ、三世代にわたって勢力を拡大し、大きな影響力をもつ全国的なネットワークへと成長していった点です。

種痘は実績づくり、とくに手順の標準化などを現場レベルの努力で行い、運営も支えていたのは豪商や地方の大名などでした。
(公の事業となっていくのはこの後で、他の国と導入や展開の仕方がだいぶ異なります)

誰かにやれと言われたからではなく、必要にせまられて、自分の持ち場(地域)の人たちを救うため、つながっていった日本の医学の開拓者たちがいたことを誇りに思い、またこの時代の苦労を考えれば手を抜いたり愚痴ばかりいっていられないという反省とともに読み終わりました。


岩波書店『種痘伝来-日本の<開国>と知の国際ネットワーク』

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種痘伝来――日本の〈開国〉と知の国際ネットワーク岩波書店

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The Vaccinators: Smallpox, Medical Knowledge, and the ‘Opening’ of JapanStanford University Press

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