2011年、医学教育等について青木編集長と接点もある黒川先生が、国会事故調の委員長になりました。その後の経過を直接詳しく聞いているわけではなかったのですが、この本に黒川先生が伝えたかったことを読んで重たいものを感じています。
国会事故調の本「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」を上梓
これは想像ですが、報告書が活かされ、その後の政策や現場での対応に反映されていたら、リーダーたちの行動規範や実務に活かされていたらこの本は書かれなかったのではないかと思います。
2011年から5年がたちました。
黒川先生は私たちからみたら、とてつもない「大物」です。権力や財力のある国内外のキーパーソンとつながりもある。華やかな経歴、実績もある。そのような人(たち)がなぜ動くにいたったか、動く中でどのような壁にぶちあたったのか、ネットや紙面で名前をみる責任者、議員等が具体的にどのような努力をしたのか(しなかったのか)。
“志が低く、責任感がない。
自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。
普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。
これが日本の中枢にいる「リーダーたち」だ。
その結果、何がおきたか。
“「日本の原発ではシビアアクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構が罷り通ることになった”
原発の問題や東北の復興も道半ばですが、この本で黒川先生が指摘し危惧しているのは決してそのことだけではありません。
GWに「忘れていることはないか」「後まわしにしていることはないか」考えるためにも、この1冊を読書リストの中に入れてよかったと思っています。
前半は、2011年3月から何がおきていたか、黒川先生とそのチームの経験からの書きおこしです。そして後半はさらにアングルを広げ、日本の文化、組織に根ざした問題に負けず、ブレイクスルーをつくっていくための若い人たちへの提案とエールが具体的に書かれています。
原発の問題だけでなく、医薬品やそれを扱う人たちへの不信の根底にあるもの、コミュニケーションはどこをめざしていくべきなのかの参考になります。ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。
(反原発本でも推進本でもありません。原発事故から学び、この国の構造的な問題を考えよう、変えていこうという提案の本です)
イントロダクションから。
黒川先生ら調査チームがまとめた報告書は2012年7月に国会に提出されました。
そこでは“福島第一原発事故は地震と津波による自然災害ではなく、「規制の虜」に陥った「人災である」と明確に結論”づけています。
本のタイトルにある「規制の虜」とは。
“規制をする側(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会など)が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する”
p.144に原子力安全・保安院と東電、規制する立場とされる立場の逆転現象についての解説があります。
①情報の優位性:規制側が事業者の後追いになる。規制側のトップはローテションで動く素人に近い人たちになる
②日本のエネルギー政策が原子力推進をベースとし「推進の中での安全」を前提にしている
③原子力安全・保安院は経産省の一機関のため規制について強く言うと上から圧力がかかる可能性があった。
途中いろいろな検討をしても、最終的に出てくる規制は東電が要望した通りになっているということがしばしばあった。
「規制の虜」は、もたれあい、なれ合い、という言葉を検討しているうちに若いスタッフが「Regulatory Captureじゃないか」と言い出したことがきっかけとなっているそうです。
“政府の規制機関が規制される側の勢力に取り込まれ、支配されてしまう状況を指す経済用語”(シカゴ大学のジョージ・スティグラー博士が研究、1982年にノーベル経済学賞を受賞)。
“被規制産業の利益の最大化に傾注するよう、コントロールされ、結果として国民を守らない政府の失敗”と定義されています。
「グループシンク(集団浅慮)」はp.160からの▼異論を言いにくい社会 に解説があります。同質性の高い人たちばかりで集まってグループシンクに陥ると、異論を受け入れ難くし、時としてとんでもない間違いをおかすことが指摘されています。その例がベトナム戦争当時のthe best and brightest。
心理学者 アーヴィング・ジャニスが定義した概念がWikipediaに引用されています。
黒川先生たちの取り組みは、ごく短期間に終えなければなりませんでした。
(その間にチームを作り分担し、皆で確認し、セキュリティ対策を講じ、痴漢などの冤罪にも備え、日本語と英語でリアルタイムで発信していく等、想像を絶する取り組みが行われています。プロジェクト管理の本としても参考になります)
2011年3月11日 発災
2011年3月19日 黒川先生が民主党幹部に「国際タスクフォース構築」提案
3〜4月 国会議員や経産省、文科省の官僚に原発危機・環境影響への国際対策チームの図を見せて説明するが、国際経験豊富な人からも「不可能」と言われる。
5月19日 民主党の会合で説明
5月20日 日本記者クラブで講演
5月下旬 国会に民間人からなる調査委員会を設置するための法案骨子について、自民党の議論がスタート。超党派での賛同の動きがはじまる。
8月9日 民主党内の議論をまたず、自民・公明・たちあがれ日本の三党が共同で法案を衆議院に提出。
8月29日 菅首相辞意表明。
9月2日 野田内閣発足。
9月29日 衆院本会議で全会一致で可決。9月30日参議院でも全会一致で可決。
「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」10月7日交付、1年の時限立法。
12月 国会に調査委員会設置「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」通称「国会事故調」設置。
※国民の代表である国会(立法府)に、行政から独立し、構成調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは日本の憲政史上初
2012年7月6日 委員は任務を解かれる。
この委員会のメンバーは10人。官僚はいません。官僚が関わらないようにする必要がありこの組織ができたためです。
調査も霞ヶ関に頼らず、国会図書館や個別にスカウトした協力者らで実施。
・都市の防災に詳しい地震学者
・チェルノブイリの国際支援にも関わった元国連大使
・放射線医学を専門とする医学博士
・元名古屋高等検察庁検事長の弁護士
・ノーベル賞受賞の分析化学者
・元原子炉エンジニアの科学ジャーナリスト
・法科大学院で教授を務めるガバナンス専門の弁護士
・被災地域で商工会会長を務める住民代表
・コンサル会社マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の社会システムデザイナー
そして元日本学術会議会長、政策研究大学院大学アカデミックフェローの黒川先生。
6カ月の調査を経て、本編だけで600ページの報告書が完成。
この委員会には原発推進派も反対派も含まれていますが、報告書には全員がサインをしており、分担原稿にだけ責任をもつスタイルではなく、両論併記でもない。委員全員の合意で作成されています。
(これは、スリーマイル島の事故の際のケメニーレポートをお手本にしているとのことです)
2012年7月6日にその職を解かれた後、黒川先生は調査に協力をしてくれた各地に避難している市町村の首長さんのところに報告書を直接届けにまわったそうです。
自費で、レンタカーを借りて。
国会事故調が事故の人災的側面を指摘した背景には下記のような<今ではよく知られた>事情がありました。
“2001年9・11のアメリカ同時多発テロの後、燃料を満載したジェット機が原発に突っ込んできたらどうなるかについて、米国やフランス等の原発先進国では真剣に論じられた。その防御策を米国側は日本の原子力規制機関に2度も伝えたが、日本は何の対策も取らなかった。もしその対策を実行していたら、福島第一原発事故はギリギリのところで防げた可能性もあるのだ。
また、日本がIAEA(国際原子力機関)の指摘する「深層防護」(原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEAでは5層まで考慮されている)をしていなかったことは、国内外の関係者の間では広く知られているし、今もその備えのない原発が幾つもあることも指摘されている。
IAEAの日本の担当者は、経産省の役人に「どうして深層防護をやらないのか」と聞いたところ、「日本では原発事故は起こらないことになっている」と言われ、まったく納得できなかった、と語っていた。※参考
こうしたことは国民にはほとんど知らされていなかったが、世界の関係者の間では以前から知られていた。卑近な言い方をすれば、日本の脆弱さは、世界中にバレていたのだ。
しかし、日本の「リーダーたち」にとって、「不都合な真実」は「存在しない」か「記録等がなくて確認できない」ことが多い。”
このような状況を改善すべく、日本語と英語でまとまった報告書はwebsiteで今も見ることができます(その他多くの情報が公開されています)。
また、若い世代が協力して作成した「わかりやすいプロジェクト」
の動画なども秀逸です。文字ばかりの資料を読むのは多くの人にはハードルの高い作業です。ひとりでも多くの人に知ってもらいたい、というコミュニケーションの努力は、同時通訳付きのライブ中継含め関わった人の熱い思いとともにつたわってきます。
しかし。
“国会事故長は報告書の中で、規制当局に対する国会の監視、政府の危機管理体制の見直し、電気事業者の監視等「7つの提言」をした。(略)ところが、事故から5年が経った今も、国会では「実施計画」の討議すら満足に行われていない。”と指摘されています。
(特に2015年8月に再稼働した九州電力川内原子力発電所(鹿児島)については、九州電力が、原発事故右党時の対策拠点となる免震重要棟の建設計画を再稼働後に撤回したことが問題となって...いるうちに九州で大きな地震が発生。参考 朝日新聞 「川内原発、免震棟造らず 九電、耐震構造の方針維持」)
行政から独立した国会の「事故調」は、日本では発とのことですが、世界でもこれまでに「人々が驚愕し、不安に陥るような事態はおきたときの対応として、時の権力や産業界から独立した、国民から疑念を抱かれないような形での評価レポートを出す形で信頼回復や解決につなげてきた経緯があります。
p.33【第一部】 ▼独立した調査委員会とは で4つの事例が紹介されています。
①「チャイナシンドローム」の恐怖が現実に-スリーマイル島原子力発電所事故
②世界を震撼させた「チャレンジャー号」事故、9・11同時多発テロ事件
③政府と警察の無策が糾弾されたノルウェー連続テロ事件
④国境を越えた委員会をEUが設立—イギリスBSE問題
④の詳細をみてみましょう。
1986年 イギリスでBSE症例報告
1989年 イギリス政府諮問の科学者グループが人間への可能性を否定するレポートを発表。政府は「人間にはうつらない」と宣言。
1995年 人間にも発症。イギリス国内で3人の死亡を確認。
イギリス政府は畜産業界等と癒着していたのではないかと疑われ、国民はもとより世界から信頼を失った。
1997年 EUが中立性を担保する科学運営委員会を設立。世界中から候補者を防臭、専門分野における能力と経験のみに基づいて委員を選考(EU以外からも選抜)。
客観性担保のために、各委員の議題についての利害関係を有していないかを毎回、書面で開示。少数意見が出た場合には、必ず議事録に記載し、ホームページで公開。委員会への参加に対する報酬は無し。
(注:利害関係とは、必ずしも現金の授受や株式保有だけをさしません。意思決定や特定の役割/特典の供与など、厳しく調べられる時代となっています)
“国がいったん失敗したら、ここまで中立と客観性を徹底しなければ信じてもらえない”ことを多くの国や専門家が学びます。
(このような不信は、現在も、医薬品などの陰謀論にリンクしていたりします)
このような独立調査委員会が日本では一度も作られていないことじたい世界から驚かれるわけですが、
“日本の政治家も役人も気づいていなかったし、学者も気づいていなかった”ことを黒川先生は指摘します。
ここは意外でもあります。
多くの官僚が国費で留学しており、国際的な見識を高めて帰国しているはずなのですが、そこにはリセット機能やバリアがあるのでしょうか。
いろいろ気づいた人は去ってしまうということもあるそうですが...
黒川先生は問題がおきてからではなく、その手前を適正化するために、“「政策は役所が作る」レベルからの脱却”も提案しています(p.210〜)。
例えばプロセスの改善。
“今までは、それを役所が仕切ってさまざまな審議会を運営していた。審議会の多くに共通するのは、以下の点である
・委員の人選は霞ヶ関が行い、事務局は官僚が担当する
・委員である「学識者・有識者」は、幾つもの審議会を経験した「常連」が多い。
・はじめに結論ありき
・報告書は事務局が作成する。審議された内容とは異なる「作文」も多い。
・報告書には、いわゆる「霞ヶ関用語(役人特有の修辞技術、解釈の仕方がいくらでもある抽象的な言葉など)」が使われる。
・審議のプロセスが国民に見えない
・審議会そのものが「飾り物」であることも多い/
ひと言で言えば、「役所の紐付き」「出来レース」だ。霞ヶ関は、自分たちが作っている政策に御用学者からお墨付きをもらうために審議会をやっているだけ、と言っていい。それが利権に結びついてしまう点に、一番の問題があった。”
黒川先生はこのような具体的な問題指摘のあとに、具体的な解決策の提案もされています。
今年80歳の黒川先生がこんなに精力的に日本をよくするために飛び回っておられるなか、居酒屋の愚痴のようなことしかしていない毎日を反省するGW後半1日目です。
そして、この本の中で、福島が生んだ偉大なリーダーが紹介されています。
一人は朝河貫一博士。
2014年6月17日 東京新聞変われぬ国 100年前警鐘 福島出身の歴史学者・朝河貫一
もうひとりは山川健次郎博士。
大切な人たちを守るために信念をまげなかった偉人の話も、この本を手にした若い人たちに受け継がれていけばと願うばかりです。
出版社(講談社)のサイトはこちら
規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす講談社
「国会原発事故調査委員会」立法府からの挑戦状 (東京プレスクラブ新書 1)出版共同流通株式会社
日本‐喪失と再起の物語:黒船、敗戦、そして3・11 (上)早川書房
なぜ、「異論」のでない組織は間違うのかPHP研究所
日本の禍機 (講談社学術文庫)講談社
明治を生きた会津人 山川健次郎の生涯―白虎隊士から帝大総長へ (ちくま文庫)筑摩書房
国会事故調の本「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」を上梓
これは想像ですが、報告書が活かされ、その後の政策や現場での対応に反映されていたら、リーダーたちの行動規範や実務に活かされていたらこの本は書かれなかったのではないかと思います。
2011年から5年がたちました。
黒川先生は私たちからみたら、とてつもない「大物」です。権力や財力のある国内外のキーパーソンとつながりもある。華やかな経歴、実績もある。そのような人(たち)がなぜ動くにいたったか、動く中でどのような壁にぶちあたったのか、ネットや紙面で名前をみる責任者、議員等が具体的にどのような努力をしたのか(しなかったのか)。
“志が低く、責任感がない。
自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。
普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。
これが日本の中枢にいる「リーダーたち」だ。
その結果、何がおきたか。
“「日本の原発ではシビアアクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構が罷り通ることになった”
原発の問題や東北の復興も道半ばですが、この本で黒川先生が指摘し危惧しているのは決してそのことだけではありません。
GWに「忘れていることはないか」「後まわしにしていることはないか」考えるためにも、この1冊を読書リストの中に入れてよかったと思っています。
前半は、2011年3月から何がおきていたか、黒川先生とそのチームの経験からの書きおこしです。そして後半はさらにアングルを広げ、日本の文化、組織に根ざした問題に負けず、ブレイクスルーをつくっていくための若い人たちへの提案とエールが具体的に書かれています。
原発の問題だけでなく、医薬品やそれを扱う人たちへの不信の根底にあるもの、コミュニケーションはどこをめざしていくべきなのかの参考になります。ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。
(反原発本でも推進本でもありません。原発事故から学び、この国の構造的な問題を考えよう、変えていこうという提案の本です)
イントロダクションから。
黒川先生ら調査チームがまとめた報告書は2012年7月に国会に提出されました。
そこでは“福島第一原発事故は地震と津波による自然災害ではなく、「規制の虜」に陥った「人災である」と明確に結論”づけています。
本のタイトルにある「規制の虜」とは。
“規制をする側(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会など)が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する”
p.144に原子力安全・保安院と東電、規制する立場とされる立場の逆転現象についての解説があります。
①情報の優位性:規制側が事業者の後追いになる。規制側のトップはローテションで動く素人に近い人たちになる
②日本のエネルギー政策が原子力推進をベースとし「推進の中での安全」を前提にしている
③原子力安全・保安院は経産省の一機関のため規制について強く言うと上から圧力がかかる可能性があった。
途中いろいろな検討をしても、最終的に出てくる規制は東電が要望した通りになっているということがしばしばあった。
「規制の虜」は、もたれあい、なれ合い、という言葉を検討しているうちに若いスタッフが「Regulatory Captureじゃないか」と言い出したことがきっかけとなっているそうです。
“政府の規制機関が規制される側の勢力に取り込まれ、支配されてしまう状況を指す経済用語”(シカゴ大学のジョージ・スティグラー博士が研究、1982年にノーベル経済学賞を受賞)。
“被規制産業の利益の最大化に傾注するよう、コントロールされ、結果として国民を守らない政府の失敗”と定義されています。
「グループシンク(集団浅慮)」はp.160からの▼異論を言いにくい社会 に解説があります。同質性の高い人たちばかりで集まってグループシンクに陥ると、異論を受け入れ難くし、時としてとんでもない間違いをおかすことが指摘されています。その例がベトナム戦争当時のthe best and brightest。
心理学者 アーヴィング・ジャニスが定義した概念がWikipediaに引用されています。
黒川先生たちの取り組みは、ごく短期間に終えなければなりませんでした。
(その間にチームを作り分担し、皆で確認し、セキュリティ対策を講じ、痴漢などの冤罪にも備え、日本語と英語でリアルタイムで発信していく等、想像を絶する取り組みが行われています。プロジェクト管理の本としても参考になります)
2011年3月11日 発災
2011年3月19日 黒川先生が民主党幹部に「国際タスクフォース構築」提案
3〜4月 国会議員や経産省、文科省の官僚に原発危機・環境影響への国際対策チームの図を見せて説明するが、国際経験豊富な人からも「不可能」と言われる。
5月19日 民主党の会合で説明
5月20日 日本記者クラブで講演
5月下旬 国会に民間人からなる調査委員会を設置するための法案骨子について、自民党の議論がスタート。超党派での賛同の動きがはじまる。
8月9日 民主党内の議論をまたず、自民・公明・たちあがれ日本の三党が共同で法案を衆議院に提出。
8月29日 菅首相辞意表明。
9月2日 野田内閣発足。
9月29日 衆院本会議で全会一致で可決。9月30日参議院でも全会一致で可決。
「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」10月7日交付、1年の時限立法。
12月 国会に調査委員会設置「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」通称「国会事故調」設置。
※国民の代表である国会(立法府)に、行政から独立し、構成調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは日本の憲政史上初
2012年7月6日 委員は任務を解かれる。
この委員会のメンバーは10人。官僚はいません。官僚が関わらないようにする必要がありこの組織ができたためです。
調査も霞ヶ関に頼らず、国会図書館や個別にスカウトした協力者らで実施。
・都市の防災に詳しい地震学者
・チェルノブイリの国際支援にも関わった元国連大使
・放射線医学を専門とする医学博士
・元名古屋高等検察庁検事長の弁護士
・ノーベル賞受賞の分析化学者
・元原子炉エンジニアの科学ジャーナリスト
・法科大学院で教授を務めるガバナンス専門の弁護士
・被災地域で商工会会長を務める住民代表
・コンサル会社マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の社会システムデザイナー
そして元日本学術会議会長、政策研究大学院大学アカデミックフェローの黒川先生。
6カ月の調査を経て、本編だけで600ページの報告書が完成。
この委員会には原発推進派も反対派も含まれていますが、報告書には全員がサインをしており、分担原稿にだけ責任をもつスタイルではなく、両論併記でもない。委員全員の合意で作成されています。
(これは、スリーマイル島の事故の際のケメニーレポートをお手本にしているとのことです)
2012年7月6日にその職を解かれた後、黒川先生は調査に協力をしてくれた各地に避難している市町村の首長さんのところに報告書を直接届けにまわったそうです。
自費で、レンタカーを借りて。
国会事故調が事故の人災的側面を指摘した背景には下記のような<今ではよく知られた>事情がありました。
“2001年9・11のアメリカ同時多発テロの後、燃料を満載したジェット機が原発に突っ込んできたらどうなるかについて、米国やフランス等の原発先進国では真剣に論じられた。その防御策を米国側は日本の原子力規制機関に2度も伝えたが、日本は何の対策も取らなかった。もしその対策を実行していたら、福島第一原発事故はギリギリのところで防げた可能性もあるのだ。
また、日本がIAEA(国際原子力機関)の指摘する「深層防護」(原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEAでは5層まで考慮されている)をしていなかったことは、国内外の関係者の間では広く知られているし、今もその備えのない原発が幾つもあることも指摘されている。
IAEAの日本の担当者は、経産省の役人に「どうして深層防護をやらないのか」と聞いたところ、「日本では原発事故は起こらないことになっている」と言われ、まったく納得できなかった、と語っていた。※参考
こうしたことは国民にはほとんど知らされていなかったが、世界の関係者の間では以前から知られていた。卑近な言い方をすれば、日本の脆弱さは、世界中にバレていたのだ。
しかし、日本の「リーダーたち」にとって、「不都合な真実」は「存在しない」か「記録等がなくて確認できない」ことが多い。”
このような状況を改善すべく、日本語と英語でまとまった報告書はwebsiteで今も見ることができます(その他多くの情報が公開されています)。
また、若い世代が協力して作成した「わかりやすいプロジェクト」
の動画なども秀逸です。文字ばかりの資料を読むのは多くの人にはハードルの高い作業です。ひとりでも多くの人に知ってもらいたい、というコミュニケーションの努力は、同時通訳付きのライブ中継含め関わった人の熱い思いとともにつたわってきます。
しかし。
“国会事故長は報告書の中で、規制当局に対する国会の監視、政府の危機管理体制の見直し、電気事業者の監視等「7つの提言」をした。(略)ところが、事故から5年が経った今も、国会では「実施計画」の討議すら満足に行われていない。”と指摘されています。
(特に2015年8月に再稼働した九州電力川内原子力発電所(鹿児島)については、九州電力が、原発事故右党時の対策拠点となる免震重要棟の建設計画を再稼働後に撤回したことが問題となって...いるうちに九州で大きな地震が発生。参考 朝日新聞 「川内原発、免震棟造らず 九電、耐震構造の方針維持」)
行政から独立した国会の「事故調」は、日本では発とのことですが、世界でもこれまでに「人々が驚愕し、不安に陥るような事態はおきたときの対応として、時の権力や産業界から独立した、国民から疑念を抱かれないような形での評価レポートを出す形で信頼回復や解決につなげてきた経緯があります。
p.33【第一部】 ▼独立した調査委員会とは で4つの事例が紹介されています。
①「チャイナシンドローム」の恐怖が現実に-スリーマイル島原子力発電所事故
②世界を震撼させた「チャレンジャー号」事故、9・11同時多発テロ事件
③政府と警察の無策が糾弾されたノルウェー連続テロ事件
④国境を越えた委員会をEUが設立—イギリスBSE問題
④の詳細をみてみましょう。
1986年 イギリスでBSE症例報告
1989年 イギリス政府諮問の科学者グループが人間への可能性を否定するレポートを発表。政府は「人間にはうつらない」と宣言。
1995年 人間にも発症。イギリス国内で3人の死亡を確認。
イギリス政府は畜産業界等と癒着していたのではないかと疑われ、国民はもとより世界から信頼を失った。
1997年 EUが中立性を担保する科学運営委員会を設立。世界中から候補者を防臭、専門分野における能力と経験のみに基づいて委員を選考(EU以外からも選抜)。
客観性担保のために、各委員の議題についての利害関係を有していないかを毎回、書面で開示。少数意見が出た場合には、必ず議事録に記載し、ホームページで公開。委員会への参加に対する報酬は無し。
(注:利害関係とは、必ずしも現金の授受や株式保有だけをさしません。意思決定や特定の役割/特典の供与など、厳しく調べられる時代となっています)
“国がいったん失敗したら、ここまで中立と客観性を徹底しなければ信じてもらえない”ことを多くの国や専門家が学びます。
(このような不信は、現在も、医薬品などの陰謀論にリンクしていたりします)
このような独立調査委員会が日本では一度も作られていないことじたい世界から驚かれるわけですが、
“日本の政治家も役人も気づいていなかったし、学者も気づいていなかった”ことを黒川先生は指摘します。
ここは意外でもあります。
多くの官僚が国費で留学しており、国際的な見識を高めて帰国しているはずなのですが、そこにはリセット機能やバリアがあるのでしょうか。
いろいろ気づいた人は去ってしまうということもあるそうですが...
黒川先生は問題がおきてからではなく、その手前を適正化するために、“「政策は役所が作る」レベルからの脱却”も提案しています(p.210〜)。
例えばプロセスの改善。
“今までは、それを役所が仕切ってさまざまな審議会を運営していた。審議会の多くに共通するのは、以下の点である
・委員の人選は霞ヶ関が行い、事務局は官僚が担当する
・委員である「学識者・有識者」は、幾つもの審議会を経験した「常連」が多い。
・はじめに結論ありき
・報告書は事務局が作成する。審議された内容とは異なる「作文」も多い。
・報告書には、いわゆる「霞ヶ関用語(役人特有の修辞技術、解釈の仕方がいくらでもある抽象的な言葉など)」が使われる。
・審議のプロセスが国民に見えない
・審議会そのものが「飾り物」であることも多い/
ひと言で言えば、「役所の紐付き」「出来レース」だ。霞ヶ関は、自分たちが作っている政策に御用学者からお墨付きをもらうために審議会をやっているだけ、と言っていい。それが利権に結びついてしまう点に、一番の問題があった。”
黒川先生はこのような具体的な問題指摘のあとに、具体的な解決策の提案もされています。
今年80歳の黒川先生がこんなに精力的に日本をよくするために飛び回っておられるなか、居酒屋の愚痴のようなことしかしていない毎日を反省するGW後半1日目です。
そして、この本の中で、福島が生んだ偉大なリーダーが紹介されています。
一人は朝河貫一博士。
2014年6月17日 東京新聞変われぬ国 100年前警鐘 福島出身の歴史学者・朝河貫一
もうひとりは山川健次郎博士。
大切な人たちを守るために信念をまげなかった偉人の話も、この本を手にした若い人たちに受け継がれていけばと願うばかりです。
出版社(講談社)のサイトはこちら
規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす講談社
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日本‐喪失と再起の物語:黒船、敗戦、そして3・11 (上)早川書房
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明治を生きた会津人 山川健次郎の生涯―白虎隊士から帝大総長へ (ちくま文庫)筑摩書房