たぶん誰も「これ大事」「すごい有効」とか思ってないのに、皆で苦しいながらしばられているルールがあります。
そういったものを合理的にバサバサと解決する国(せざるをえない国)からみるとまことに不思議な現象なわけですが。
超合理的な国の人からみえる日本論をもう一度読もうかと思いました。
人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)新潮社
下記はよく話題になる話ですが、坂根先生は文部科学省のパブリックコメントに意見として提出され、またMRICで広く関係者に共有を試みておられます。
こういたactionを現場から出して行かないと何もかわりませんし、現場のことがわかる人が決定部門にいないと皆の不幸が続きます。
※色は編集部による勉強メモでつけさせていただいたものです。
ワクチンの位置づけは微妙なまま、世界の70%のタミフルを使用し、パンデミック対策と季節性インフルエンザの対応の混乱とか、いろいろな問題が混在していますが。
一番たいへんな人たちへの配慮をわすれないようにしたいです。
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インフルエンザの出席停止期間延長は本当に必要か−たかが出席停止期間というなかれ−
つくば市 坂根Mクリニック 坂根みち子
2012年3月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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インフルエンザが蔓延し、子供たちの出席停止期間が、今の解熱後2日から5日に延長されるという新聞報道があった。
以下の理由で反対である。
・出席停止期間を長くすることで、感染拡大に役立つという根拠がはっきりしない。
・親の負担の増大
・診断と治療の進歩が対策に反映されていない
日本では、インフルエンザ予防接種を受けている人が多く、外来受診率も高く、早くに診断治療受けるため軽症で済む人がとても多い。新型インフルエンザのときでさえ、諸外国に比べて断トツに死亡率が低かった。イナビルの出現で、たった一日で解熱しそこから48時間の経過観察、つまり最短発症後3日で登校できる子供たちが増えた。ウイルスはまだ体内に残っているかもしれないが、イナビルでウイルス増殖は抑えられており、解熱した時点で体内のウイルス量はごくわずかであると思われる。実際に外来をやっていてもとても軽症で済む子が多いと感じている。
ノロウイルスや流行性耳下腺炎の例を挙げるまでもなく、出席停止期間後にもウイルスが排出されていると思われる感染症はたくさんある。多少のウイルスが残っていてもほとんどの感染症は大きな問題とならない。
インフルエンザの診断治療の進歩にかかわらず、出席停止期間が延びるとすれば、何のためにそこに大きなお金をかけているのだろうか。
管理するほうからすれば、長く休んでくれればそれだけ確実にウイルスが減るわけですから余計な心配をせずに済み楽かもしれない。
出席停止延長に伴うデメリットの一番は親の負担である。子供が5日休まないといけなくなると大抵のしわ寄せは母親に来る。働く母親の場合とても深刻な問題である。子供は一人とは限らない。次々移っていくこともよくある。学校から熱発で呼び出されることから始まって、子供のために急遽5日休まなくてはいけないというのはとても大変なことだ。
0歳児保育としている知り合いの保育園では0歳児クラスで3人がインフルエンザに罹患、一人は5日間休み他の2人は解熱後2日で登園したそうだが特に感染は広がっていないという。厚労省が解熱後2日といい、文科省が登校は発症後5日、解熱後3日というルールを考えている。縦割り行政にならず科学的に判断してほしい。
日本はお役所が一旦ルールを決めると愚直なまでに右へならえをする国民性がある。 微熱で最初から軽症な例でも子供に限らず大人も会社からインフルエンザかどうか確認するように言われたと病院にやってくる。軽症で自然治癒するレベルと思われても、社会がそれを許してくれない。それも1回のみならず、もう一度検査してほしいとやってくる場合も少なからずある。また迅速検査で陽性だった場合どんなに軽症でもまず間違いなく治療を希望する。限られた医療資源がかなり無駄に使われていると感じている。
文科省で出席停止期間が延びれば、企業もそれに準じるところが増えるだろう。医療費の側面以外に休業に伴う経済的な損失も大きくなる。加えて、イナビル吸引後に亡くなった子供が「ひとり」出たために、2日間は目を離すなというお達しが一斉に配られた。母親の負担はますます大きくなる。
医療の領域にはそれが出来れば越したことはないけれど、他とのバランスを考えてということはたくさんある。物事を一方向からしか見ないで安易に規制をかけると自らの首を絞めることになる。一旦決まったルールは金科玉条のごとく扱われてしまう。
更に付け加えると新型インフルエンザの時も問題となったが、治癒証明や千葉で求められる登校許可証明書とやらも、忙しい医療の現場の負担になるので止めて欲しい。不確実な分野で確実な証明書を求められても医師はそれを証明できない。国は最低限のルールだけ決めて(この場合は解熱後2日の自宅療養)、後は親の判断に任せるというのがまっとうな対応である。不確実な領域のことまでやりすぎると、親の判断力が養われず、すべての責任が国に帰ってくる。
重症型の感染症ならまだしも、今のインフルエンザに対してこんなに手厚い対策をしているゆとりが日本にあるとはとても思えない。そこにかける時間とお金を回してほしい医療分野はたくさんある。もう平時ではないのだ。
(以上の趣旨は文科省のパブリックコメントにも出させていただいた)
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そういったものを合理的にバサバサと解決する国(せざるをえない国)からみるとまことに不思議な現象なわけですが。
超合理的な国の人からみえる日本論をもう一度読もうかと思いました。
人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)新潮社
下記はよく話題になる話ですが、坂根先生は文部科学省のパブリックコメントに意見として提出され、またMRICで広く関係者に共有を試みておられます。
こういたactionを現場から出して行かないと何もかわりませんし、現場のことがわかる人が決定部門にいないと皆の不幸が続きます。
※色は編集部による勉強メモでつけさせていただいたものです。
ワクチンの位置づけは微妙なまま、世界の70%のタミフルを使用し、パンデミック対策と季節性インフルエンザの対応の混乱とか、いろいろな問題が混在していますが。
一番たいへんな人たちへの配慮をわすれないようにしたいです。
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インフルエンザの出席停止期間延長は本当に必要か−たかが出席停止期間というなかれ−
つくば市 坂根Mクリニック 坂根みち子
2012年3月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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インフルエンザが蔓延し、子供たちの出席停止期間が、今の解熱後2日から5日に延長されるという新聞報道があった。
以下の理由で反対である。
・出席停止期間を長くすることで、感染拡大に役立つという根拠がはっきりしない。
・親の負担の増大
・診断と治療の進歩が対策に反映されていない
日本では、インフルエンザ予防接種を受けている人が多く、外来受診率も高く、早くに診断治療受けるため軽症で済む人がとても多い。新型インフルエンザのときでさえ、諸外国に比べて断トツに死亡率が低かった。イナビルの出現で、たった一日で解熱しそこから48時間の経過観察、つまり最短発症後3日で登校できる子供たちが増えた。ウイルスはまだ体内に残っているかもしれないが、イナビルでウイルス増殖は抑えられており、解熱した時点で体内のウイルス量はごくわずかであると思われる。実際に外来をやっていてもとても軽症で済む子が多いと感じている。
ノロウイルスや流行性耳下腺炎の例を挙げるまでもなく、出席停止期間後にもウイルスが排出されていると思われる感染症はたくさんある。多少のウイルスが残っていてもほとんどの感染症は大きな問題とならない。
インフルエンザの診断治療の進歩にかかわらず、出席停止期間が延びるとすれば、何のためにそこに大きなお金をかけているのだろうか。
管理するほうからすれば、長く休んでくれればそれだけ確実にウイルスが減るわけですから余計な心配をせずに済み楽かもしれない。
出席停止延長に伴うデメリットの一番は親の負担である。子供が5日休まないといけなくなると大抵のしわ寄せは母親に来る。働く母親の場合とても深刻な問題である。子供は一人とは限らない。次々移っていくこともよくある。学校から熱発で呼び出されることから始まって、子供のために急遽5日休まなくてはいけないというのはとても大変なことだ。
0歳児保育としている知り合いの保育園では0歳児クラスで3人がインフルエンザに罹患、一人は5日間休み他の2人は解熱後2日で登園したそうだが特に感染は広がっていないという。厚労省が解熱後2日といい、文科省が登校は発症後5日、解熱後3日というルールを考えている。縦割り行政にならず科学的に判断してほしい。
日本はお役所が一旦ルールを決めると愚直なまでに右へならえをする国民性がある。 微熱で最初から軽症な例でも子供に限らず大人も会社からインフルエンザかどうか確認するように言われたと病院にやってくる。軽症で自然治癒するレベルと思われても、社会がそれを許してくれない。それも1回のみならず、もう一度検査してほしいとやってくる場合も少なからずある。また迅速検査で陽性だった場合どんなに軽症でもまず間違いなく治療を希望する。限られた医療資源がかなり無駄に使われていると感じている。
文科省で出席停止期間が延びれば、企業もそれに準じるところが増えるだろう。医療費の側面以外に休業に伴う経済的な損失も大きくなる。加えて、イナビル吸引後に亡くなった子供が「ひとり」出たために、2日間は目を離すなというお達しが一斉に配られた。母親の負担はますます大きくなる。
医療の領域にはそれが出来れば越したことはないけれど、他とのバランスを考えてということはたくさんある。物事を一方向からしか見ないで安易に規制をかけると自らの首を絞めることになる。一旦決まったルールは金科玉条のごとく扱われてしまう。
更に付け加えると新型インフルエンザの時も問題となったが、治癒証明や千葉で求められる登校許可証明書とやらも、忙しい医療の現場の負担になるので止めて欲しい。不確実な分野で確実な証明書を求められても医師はそれを証明できない。国は最低限のルールだけ決めて(この場合は解熱後2日の自宅療養)、後は親の判断に任せるというのがまっとうな対応である。不確実な領域のことまでやりすぎると、親の判断力が養われず、すべての責任が国に帰ってくる。
重症型の感染症ならまだしも、今のインフルエンザに対してこんなに手厚い対策をしているゆとりが日本にあるとはとても思えない。そこにかける時間とお金を回してほしい医療分野はたくさんある。もう平時ではないのだ。
(以上の趣旨は文科省のパブリックコメントにも出させていただいた)
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