連休中は立ち止まって考える案件について、読んだりまとめる作業を入れています。
ふだん、ニュースのヘッドラインだけみていると誤解することが多いなあと、自分の詳しい分野だけみていても思い、「せめて1次資料にあたればいいのに(公開されているんだから・・・)」といいつつ、同じことはブーメランとして自分にもかえってくるわけですね。
時間に余裕があるときに、読み直したりということをしないと、あやしげな情報の上に誰かが吹き込みたいことだけがのっかる危うさがあります。
2015年7月に発刊された『安全という幻想−エイズ騒動から学ぶ』郡司篤晃 (聖学院大学出版会) を入手したので
は、以前出た弁護士による関連書を読んでいたので、史実的に新しいことはあまりなかったのですが、
(『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』武藤春光・弘中惇一郎 )
責任追求や報道が故人に及ぶことについて考える記載がたくさんありました。
写真:amazon
安全という幻想: エイズ騒動から学ぶ聖学院大学出版会
ちなみに、、エイズに直接関心がない方でも、第5章からの「よりよい社会づくりのために」は、医療や医薬品を皆でより安全に適切に大切にしていくためにはどうすればいいのか、くり返される構造的な問題はどうすればいいのかを考えるきっかけになるおともいます。
本題は、報道の影響についてです。
最近ネットを見ていて気になるのは、気に入らない、おかしい、と(直感的に)思うことについての暴力的な反応です。一番わかりやすいのは、罵り,特に個人に向けた攻撃です。おかしいことや改善が必要なのは何か特別な「案件」のはずですが、私たちの反応の中に、許せない/制裁してやろう的欲望があるんだろうと思います。
中にはとても執拗や(医療者から見て)病的にみえるものもあります。無理が生じた先には、個人の家族や属性、その案件に直接関係ないことの誹謗中傷も入ってきます。
気に入らない/おかしいと感じるものはなくならないと思いますし、直感的正義は個人にとっては正義そのものになりやすいわけです。
しかし、このようなことが政府や報道に「利用される」ことが怖いな、とおもうような事案がつい最近国会でありましたので、
犯人探しに「狂奔」。感情的で激化しやすい。
怒りや同情を煽動して誘導するのが手っ取り早い。
編集長も知り合いの田辺氏の書評が産経に掲載されていました。
2015年9月6日 産経新聞 書評 医療ジャーナリスト・田辺功が読む
"国民の多くは今も「薬害エイズ事件」を誤解したままだろう"
すでに本を読んだ方たちのコメント。
Togetter 安全という幻想(郡司篤晃・2015年)
裁判としては、1984年5月当時にエイズの病原体が確定していたのか、抗体の意味が明らかだったのか、患者や専門医らが使用継続を望んでいた薬剤を超法規的に止めることができたのか(代わりの薬剤がないところで)、等の裁判上の論点は、当時の医学雑誌や学会の状況など資料を時系列でおっていけばわかることは前に出た本と同じです。
それ以外に、この本では郡司氏が個人的に経験したこと、特に報道関係とのやりとりが印象的でした。
例えば、安部英医師(故人)が発言したという次の言葉
「私どもは毎日毒が入っているかもしれないと思いながら注射している」
これが、"危険を知りながら治療を続けていた"と解釈して拡散されましたが、実際には、会議の場で参加者が「実際には、原因ウイルスがみつからなくても治療対策は以外に片付いちゃうんんじゃないかな、という気もするんですよね。だから、日本では待っていたってよいといういい訳もあるんだよね」という発言したことについて、「私たちはね、毎日注射しているからね。これは毒が入っているかもしれないと思って注射しなければならないんだから。それはあなたのように待ってなんかおれないよ」との発言の一部であったことが後からわかります。
また、会議の場で郡司氏があることを発言したかどうかNHKに問われ、記憶が定かでなかったこtについてわからないと説明したことが、NHKの番組では「伝えなかった」と断定されたことからおきた問題とその後のNHKとのやり取りふくめて紹介されています。
関係者は事実を伝えることを誠実と考えつつも,黙らざるを得ない状況がおとずれます。
"p134. ジャーナリズムによる個人攻撃
(略)しかし、告発されたとなると、突然にものすごい勢いで「取材」が殺到した。告発されたときから、記者は皆が「刑事」になった。私は、それまでは取材にはできるだけ応じるようにしてきたが、ある人に相談したら、この機会に取材を断ったらどうか、と助言してくれたので、一切の取材を断ることにした。"
事実を伝えることが誠実であるとしても、誰かを守るため、伝えないこともありえます。
"p.136
集団訴訟になると、エイズが話題になる前に感染した人も入ってくる。後でわかったことだが、濃縮製剤によるHIV感染は、エイズとして話題に上る前にすでに起こっていて、私が課長に就任したころがそのピークだった。しかし、私が課長の時期には「感染するかどうかわからなかった」ことを認めると、その人たちに対する政府の責任は追求できなくなる。原告の人々の間にも分裂が生じる。私を悪者にしなければ、その時代の感染者は救えない。"
p.150 身の回りに起こったこと
は、加熱する中で、説明することさえ困難、理解の可能性のないスタンスの相手に何ができるのだろう、と考えさせられます。
参考 【今回復習した年表】
1974年 日本で非加熱の濃縮製剤認可
1981年7月 MMWR ロサンジェルスでカリニ肺炎症例の集積報告
1981年9月 Lancet カポジ肉腫症例の集積報告
1981年12月 NEJM これらの症例に細胞性免疫低下があることを報告
1982年6月 アメリカ血友病財団 非加熱製剤継続使用を勧告
1982年7月 MMWR 同性愛男性ではない血友病3例のカリニ肺炎報告
1982年8月 郡司氏が生物製剤課の課長
1982年8月 村上省三医師から文献が届く
1982年9月 米国CDCが AIDSと命名
1983年1月 NEJM 濃縮製剤使用群VSクリオ使用群で前者に細胞生免疫低下が多いとの指摘。しばらく濃縮製剤使用を控えるべきとの提案掲載(反対コメント多数)
1983年2月 自己注射が健康保険適応に
1983年3月 米国のAIDS症例が1300例(血友病11例)と把握
米国で加熱製剤認可(B型肝炎対策)
1983年5月 Scienceに米国NIHとフランス パスツール研究所から原因ウイルスに関する論文が掲載された。NIHのガロはHTLV-Ⅲと主張。
1983年6月13日 第1回エイズの実態把握に関する研究班 設置(班長 安部医師) 日本にエイズ患者がいるか調査開始
1983年6月 世界血友病大会 16例の患者発生報告
1983年7月18日 第2回エイズ研究班会議 帝京大の1例について検討
血友病B カンジダ症 委員会では断定できず。
記者会見で郡司課長が米国のような典型例ではない、と説明
1983年8月13日 第3回エイズ研究班会議
1983年9月 血友病友の会が厚生省に陳情「治療法を後退させないように」
血液製剤小委員会開催
1983年10月14日 第4回エイズ研究班会議
1983年11月10日 製薬会社 加熱製剤の説明会
1984年 2月 治験開始→1985年7月1日 加熱製剤の製造承認
1984年3月29日 第5回エイズ研究班会議
1984年3月 血液製剤専門委員会 最終報告書(原則費加熱製剤の使用継続)
1984年4月 米国NIHがウイルス同定を発表(HTLV-Ⅲ)→5月Science掲載
1984年 フランスのモンタニエらがScience, Lancetで原因ウイルスはLAVと主張 →★2008年のノーベル生理学・医学賞受賞
1985年1月モンタニエらがCellで、ガロらがNatureに発表。ウイルスは同じものであることが判明(塩基配列の分析結果)
1985年4月19日 WHO 加熱製剤を早期に承認するよう勧告
1985年5月 帝京大学で手首関節の出血に対して非加熱濃縮製剤を投与
1985年6月 加熱製剤認可
1985年7月 郡司氏 健康増進栄養課長に。生物製剤課長後任は松村明仁 氏
1985年12月 日本で加熱製剤使用が可能に
1986年1〜3月 既に安全な加熱製剤があるのに、ミドリ十字が関西の大学病院に非加熱製剤を販売
※厚労省が加熱製剤販売後も非加熱製剤販売に制限をかけなかったから、との理由
1986年11月 風俗の女性がエイズとの報道→エイズパニック
1986年5月 ウイルス分類国際委員会レトロウイルス小委員会がエイズウイルスの原因をHIVと統一
1988年 遺伝子組み換え第Ⅷ因子製剤承認
1989年HIV訴訟 提訴 大阪 97名 東京118名
1990年3月12日 NHKスペシャル「エイズ 日本はどのように対処したか」
1994年2月6日 NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」
1996年1月 バッシング加熱 橋本内閣 管厚生相が「薬害エイズ」調査班設置
2月9日 原告団を厚労省に招き入れ “郡司ファイル”を提示
2月16日 管厚相が謝罪
3 月 和解
4月 安部医師 衆参両議院 参考人招致
7月 安部医師 衆議院 証人喚問
8月 東京地検が安部医師を逮捕(業務上過失致死)
2001年3月28日無罪判決 366ページ中200ページは医学的知見
2005年二審途中で安部氏が死亡(東京高裁 公訴棄却)
2002年 C型肝炎訴訟(1987年以前に製造されたフィブリノーゲンと第Ⅸ因子製剤)
※C型肝炎の同定は1989年
ふだん、ニュースのヘッドラインだけみていると誤解することが多いなあと、自分の詳しい分野だけみていても思い、「せめて1次資料にあたればいいのに(公開されているんだから・・・)」といいつつ、同じことはブーメランとして自分にもかえってくるわけですね。
時間に余裕があるときに、読み直したりということをしないと、あやしげな情報の上に誰かが吹き込みたいことだけがのっかる危うさがあります。
2015年7月に発刊された『安全という幻想−エイズ騒動から学ぶ』郡司篤晃 (聖学院大学出版会) を入手したので
は、以前出た弁護士による関連書を読んでいたので、史実的に新しいことはあまりなかったのですが、
(『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』武藤春光・弘中惇一郎 )
責任追求や報道が故人に及ぶことについて考える記載がたくさんありました。
写真:amazon
安全という幻想: エイズ騒動から学ぶ聖学院大学出版会
ちなみに、、エイズに直接関心がない方でも、第5章からの「よりよい社会づくりのために」は、医療や医薬品を皆でより安全に適切に大切にしていくためにはどうすればいいのか、くり返される構造的な問題はどうすればいいのかを考えるきっかけになるおともいます。
本題は、報道の影響についてです。
最近ネットを見ていて気になるのは、気に入らない、おかしい、と(直感的に)思うことについての暴力的な反応です。一番わかりやすいのは、罵り,特に個人に向けた攻撃です。おかしいことや改善が必要なのは何か特別な「案件」のはずですが、私たちの反応の中に、許せない/制裁してやろう的欲望があるんだろうと思います。
中にはとても執拗や(医療者から見て)病的にみえるものもあります。無理が生じた先には、個人の家族や属性、その案件に直接関係ないことの誹謗中傷も入ってきます。
気に入らない/おかしいと感じるものはなくならないと思いますし、直感的正義は個人にとっては正義そのものになりやすいわけです。
しかし、このようなことが政府や報道に「利用される」ことが怖いな、とおもうような事案がつい最近国会でありましたので、
犯人探しに「狂奔」。感情的で激化しやすい。
怒りや同情を煽動して誘導するのが手っ取り早い。
編集長も知り合いの田辺氏の書評が産経に掲載されていました。
2015年9月6日 産経新聞 書評 医療ジャーナリスト・田辺功が読む
"国民の多くは今も「薬害エイズ事件」を誤解したままだろう"
すでに本を読んだ方たちのコメント。
Togetter 安全という幻想(郡司篤晃・2015年)
裁判としては、1984年5月当時にエイズの病原体が確定していたのか、抗体の意味が明らかだったのか、患者や専門医らが使用継続を望んでいた薬剤を超法規的に止めることができたのか(代わりの薬剤がないところで)、等の裁判上の論点は、当時の医学雑誌や学会の状況など資料を時系列でおっていけばわかることは前に出た本と同じです。
それ以外に、この本では郡司氏が個人的に経験したこと、特に報道関係とのやりとりが印象的でした。
例えば、安部英医師(故人)が発言したという次の言葉
「私どもは毎日毒が入っているかもしれないと思いながら注射している」
これが、"危険を知りながら治療を続けていた"と解釈して拡散されましたが、実際には、会議の場で参加者が「実際には、原因ウイルスがみつからなくても治療対策は以外に片付いちゃうんんじゃないかな、という気もするんですよね。だから、日本では待っていたってよいといういい訳もあるんだよね」という発言したことについて、「私たちはね、毎日注射しているからね。これは毒が入っているかもしれないと思って注射しなければならないんだから。それはあなたのように待ってなんかおれないよ」との発言の一部であったことが後からわかります。
また、会議の場で郡司氏があることを発言したかどうかNHKに問われ、記憶が定かでなかったこtについてわからないと説明したことが、NHKの番組では「伝えなかった」と断定されたことからおきた問題とその後のNHKとのやり取りふくめて紹介されています。
関係者は事実を伝えることを誠実と考えつつも,黙らざるを得ない状況がおとずれます。
"p134. ジャーナリズムによる個人攻撃
(略)しかし、告発されたとなると、突然にものすごい勢いで「取材」が殺到した。告発されたときから、記者は皆が「刑事」になった。私は、それまでは取材にはできるだけ応じるようにしてきたが、ある人に相談したら、この機会に取材を断ったらどうか、と助言してくれたので、一切の取材を断ることにした。"
事実を伝えることが誠実であるとしても、誰かを守るため、伝えないこともありえます。
"p.136
集団訴訟になると、エイズが話題になる前に感染した人も入ってくる。後でわかったことだが、濃縮製剤によるHIV感染は、エイズとして話題に上る前にすでに起こっていて、私が課長に就任したころがそのピークだった。しかし、私が課長の時期には「感染するかどうかわからなかった」ことを認めると、その人たちに対する政府の責任は追求できなくなる。原告の人々の間にも分裂が生じる。私を悪者にしなければ、その時代の感染者は救えない。"
p.150 身の回りに起こったこと
は、加熱する中で、説明することさえ困難、理解の可能性のないスタンスの相手に何ができるのだろう、と考えさせられます。
参考 【今回復習した年表】
1974年 日本で非加熱の濃縮製剤認可
1981年7月 MMWR ロサンジェルスでカリニ肺炎症例の集積報告
1981年9月 Lancet カポジ肉腫症例の集積報告
1981年12月 NEJM これらの症例に細胞性免疫低下があることを報告
1982年6月 アメリカ血友病財団 非加熱製剤継続使用を勧告
1982年7月 MMWR 同性愛男性ではない血友病3例のカリニ肺炎報告
1982年8月 郡司氏が生物製剤課の課長
1982年8月 村上省三医師から文献が届く
1982年9月 米国CDCが AIDSと命名
1983年1月 NEJM 濃縮製剤使用群VSクリオ使用群で前者に細胞生免疫低下が多いとの指摘。しばらく濃縮製剤使用を控えるべきとの提案掲載(反対コメント多数)
1983年2月 自己注射が健康保険適応に
1983年3月 米国のAIDS症例が1300例(血友病11例)と把握
米国で加熱製剤認可(B型肝炎対策)
1983年5月 Scienceに米国NIHとフランス パスツール研究所から原因ウイルスに関する論文が掲載された。NIHのガロはHTLV-Ⅲと主張。
1983年6月13日 第1回エイズの実態把握に関する研究班 設置(班長 安部医師) 日本にエイズ患者がいるか調査開始
1983年6月 世界血友病大会 16例の患者発生報告
1983年7月18日 第2回エイズ研究班会議 帝京大の1例について検討
血友病B カンジダ症 委員会では断定できず。
記者会見で郡司課長が米国のような典型例ではない、と説明
1983年8月13日 第3回エイズ研究班会議
1983年9月 血友病友の会が厚生省に陳情「治療法を後退させないように」
血液製剤小委員会開催
1983年10月14日 第4回エイズ研究班会議
1983年11月10日 製薬会社 加熱製剤の説明会
1984年 2月 治験開始→1985年7月1日 加熱製剤の製造承認
1984年3月29日 第5回エイズ研究班会議
1984年3月 血液製剤専門委員会 最終報告書(原則費加熱製剤の使用継続)
1984年4月 米国NIHがウイルス同定を発表(HTLV-Ⅲ)→5月Science掲載
1984年 フランスのモンタニエらがScience, Lancetで原因ウイルスはLAVと主張 →★2008年のノーベル生理学・医学賞受賞
1985年1月モンタニエらがCellで、ガロらがNatureに発表。ウイルスは同じものであることが判明(塩基配列の分析結果)
1985年4月19日 WHO 加熱製剤を早期に承認するよう勧告
1985年5月 帝京大学で手首関節の出血に対して非加熱濃縮製剤を投与
1985年6月 加熱製剤認可
1985年7月 郡司氏 健康増進栄養課長に。生物製剤課長後任は松村明仁 氏
1985年12月 日本で加熱製剤使用が可能に
1986年1〜3月 既に安全な加熱製剤があるのに、ミドリ十字が関西の大学病院に非加熱製剤を販売
※厚労省が加熱製剤販売後も非加熱製剤販売に制限をかけなかったから、との理由
1986年11月 風俗の女性がエイズとの報道→エイズパニック
1986年5月 ウイルス分類国際委員会レトロウイルス小委員会がエイズウイルスの原因をHIVと統一
1988年 遺伝子組み換え第Ⅷ因子製剤承認
1989年HIV訴訟 提訴 大阪 97名 東京118名
1990年3月12日 NHKスペシャル「エイズ 日本はどのように対処したか」
1994年2月6日 NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」
1996年1月 バッシング加熱 橋本内閣 管厚生相が「薬害エイズ」調査班設置
2月9日 原告団を厚労省に招き入れ “郡司ファイル”を提示
2月16日 管厚相が謝罪
3 月 和解
4月 安部医師 衆参両議院 参考人招致
7月 安部医師 衆議院 証人喚問
8月 東京地検が安部医師を逮捕(業務上過失致死)
2001年3月28日無罪判決 366ページ中200ページは医学的知見
2005年二審途中で安部氏が死亡(東京高裁 公訴棄却)
2002年 C型肝炎訴訟(1987年以前に製造されたフィブリノーゲンと第Ⅸ因子製剤)
※C型肝炎の同定は1989年