たとえ明日、世界が終わりになろうとも、
私は、リンゴの木を植える (マルティン・ルター)
マルティン・ルター(1483-1546)は、ドイツの神学者、牧師で、宗教改革の中心人物です。
明日、世界が終わりになってしまうということは、今日、リンゴの木を植えても実りを得ることは出来ません。リンゴの木自体もなくなってしまいます。それどころか、その人のそれまでの蓄財も業績も、記憶さえも、一切が無くなってしまいます。
あるいは人類の歴史でさえ、失われてしまうのです。人間という種が存在していたこと自体も忘されてしまうのです。全てが無に帰するわけです。全ての存在が失われる訳ですから、今日一日を刹那的に、享楽的に生きるのが普通かもしれません。それなのに、それなのにルターは、今日、リンゴの木を植えようと言うのです。
私には、このルターのことばが気を衒ったものでないことは理解できます。ヤケクソで言っているわけではないはずです。
この「リンゴの木を植える」という表現には、明日への希望を持って、日々の勤めを果たしていくというルターの熱いが込められているような気がします。そして、その真意は、未来において全ての存在が失われようとも、ひとりの人間が生きて、正しく存在したという事実は、決して失われないということなのだと思います。
これは私に、大変な意味をもたらしてくれます。「神の義」を本質的に見つめていた彼ならではの視点ではないでしょうか。
世間体や時流に流されない、彼のぶれない生き方とその覚悟を感じることができます。
さながら、医療人としての我々であれば、明日、世界が終わりになったとしても、病める人のそばに寄り添っていくこと
とでも言えるでしょうか。日々、坦々と自らの為すべきことのみに邁進する。そんな世界をルターは目指したのでしょう。
(ネット上にあった「ことばの栄養剤」から)