8月12日の日経メディカルオンラインに「判例解説●大阪地裁2007年7月30日判決
HCV検査勧めるも患者受けず、医師の説明・説得に過失」という記事がありました。
医療者にも、市民にもいろいろなことをなげかける(わかりやすい)記事です。
シンプルにいうと、医師が検査を勧めたが、患者が自分の判断で受けなかった。患者が死亡したあとに、それは医師の落ち度として責任を追求した、というものです。
そこでどのような説明をどのような状況でしたのかということの詳細が法廷では争われるわけです(個々の訴訟には個別の細かい事情が)。
ある時点で医師は検査を勧めるべきだったとし、
"その上で、Bが96年検査の結果から勧めたC型肝炎ウイルス検査を患者が受けなかったときのBの対応について言及。人の生命や健康を管理すべき医師が患者の検査拒否を安易に受け入れるのは相当ではないとし、Bは検査を拒否する患者に、C型慢性肝炎の予後がどのようなもので、それを回避するためにどんな治療が必要かを説明し、検査を受けるよう説得を試みる義務があったと判断した。そして、C型肝炎ウイルスに感染した可能性しか伝えず、予後の重大性や治療の必要性を説明しなかったBの説明・説得義務違反を認めた。"
という事例をもとにした記事です。
今回はC型肝炎の検査を患者が希望しなかった(医師は何度かすすめたが)。どう説明したのかわかりませんし、患者が検査しなかった理由もわかりませんが。
全文を読んでいないので深入りはしませんが、同じようなことはいつでも起こりうるように思います。
世の中には「知りたくないの」という人がいることは事実です。
健康や救命がプライオリティではない人もいます。
リスク志向、リスクによって救われている、関係が保たれている、という場合もあります。
医師は検査をすすめるときにその理由も言うと思うんですが、それもきいてなお「知りたくないの」(悲観的) や 「(まだ)知らなくていいの」(楽観的?)な人もいるでしょうし、特に強い意図はないけど・・・な人もいるかもしれません。
その行動は「先延ばし(procrastination)」といわれるものであります。
行動の遅延によって今より状況が悪化することが予想されるにもかかわらず自発的に遅らせる人もいるわけです。
The nature of procrastination: a meta-analytic and theoretical review of quintessential self-regulatory failure.
医師の説明や説得不足で説明がつくのかなあ・・・というのが読んでの最初の感想でした。
ところで、、、肝炎検査では経験したことがありませんがHIV感染症では「先延ばし」はよくきかれます。
まずご本人。
「えーっと、今はいいです」(いつかやろうとは思っています)
それは3ヶ月前にしたばかりだからという場合もありますが、陽性かも、、と思うと怖くて受けれません、という方もいます。心の準備ができてから・・・。
それはHIV陽性の患者さんのパートナーでよく経験しました。
そのうち咳が止まらない、、、微熱が・・というような体調の変化などがきっかけとなり検査をされる方が多かったですが。
情報をたくさん持っている人ほど逡巡されたりもして、知識だけでは説明がつかないなあと思いました。
そのような人たちにもしも説得や強烈な働きかけをしたら、「こなくなってしまう(検査を受けないまま来づらくなってしまう)」ことを心配して、傾聴的に関わる医師も多いのだろうと想像します。しなくていいよ、とはいいませんが、待っているよアプローチです。
その場合も「早く治療をするメリットを失うこと」などは伝えてあるのですけれども。
このような場合「説得がたりん」みたいにいわれたらケアの本筋からはずれますよ。
まあ、この場合はご本人が納得、治療延期になるリスクを承知してですが、家族が後でそれを医師の不手際のようにいわれたらつらいですね。
では、ご本人ではない場合はどうでしょうか。
HIV陽性の患者さんがコンドームなしでセックスをした相手と今も一緒にいたとします。
可能性としてその人にうつっている確率はゼロではありません。その人からの感染の可能性もゼロではない場合もあります(どちらが先かはわからないことも)。
「相手の方にも検査をしてもらってください」と医師が言ったときに、すぐに検査に一緒に行くようなケースが多い印象ですが、中には「いや、相手にはいいたくないです」というようなケースもあります。
この場合はどうでしょうか。
検査をしたほうがいいですよ、、、と伝えるべき人は目の前(診察室)にはいません。
存在は知っていますし連絡先(自宅の電話)もしっていますが、日本では医療機関からそのようなアプローチをすることは原則ないと思います。
医療者は、その相手の人が感染していた場合に、エイズを発症して受診するようなことになることを心配します。
数年後(数ヵ月後)、具合が悪くなって近医を受診し、その医師が冴えていてHIVを鑑別にあげて検査をしたところ陽性。
すぐに治療をしないと危険なレベル。
今度はそこの医師から、パートナーの検査もしたほうがいいですよ、と言われます。
その人が自分の患者に検査をしたほうがいいよと言ってくるかは定かではありませんが、「いや、実は自分はすでに感染を知っていたのだ」と打ち明けたとします。
その方は「なぜ、自分に教えてくれなかったのだろう?」と考えて、場合によってはその怒りや悲しみの矛先は自分にむくかもしれません。
もちろん、自分の患者とその相手の人間関係の中での意思決定であり、医療者が直接関与しうることではなかったとしても、その人やその家族は治療上の利益を失ったことや、感染の時期を考えて(防げたかもしれないという理屈も成り立つので)自分を訴えるかもしれない。
そんな状況も起こりえます。
個人情報は原則保護されるものですが、諸外国ではこのような場合は、当事者の個人情報を伏せた上でHIV検査を勧めますというpublic health部門からの公式な文書をもって伝えることがあります。
Partner Notificationです。
HIVや梅毒が最優先でその対象となっているのは、放置すれば今でも死ぬリスクの高い感染症であり、母子感染のリスクのある感染症だからです。
日本は結核の場合は保健所が検査のおすすめをしてくれますが、HIVや梅毒ではしてもらえません。
治療がいまほどよいものではなかった時代、患者さんは告知されからの人生を砂時計にたとえ、また夜や一人の部屋で時計の音がチクタクいうのがとても怖くなったと言っていました。早く気づいて治療ができたほうがいいのでしょうが、知ったゆえの怖さや重荷もある。
検査でHIV陽性とわかったときに、「ほっとした」といった患者さもいました。
検査のたびにリスクのある日々が思い出されて苦悩して怖かった。病気は怖かったはずなのに、「次、陽性だったらどうしよう」という恐怖からは開放された、と説明してくれました。
検査を受ける決断をした患者さんは、体調不良で覚悟を決めたという方もいましたが、家族や友人が「健康でいてほしい」と本人に働きかけた例もありました。
何が背中を押すのかは人によります。
以上は数年前の話です。
今は良くも悪くも病気のイメージや語りが変わり、あまりnegativeにとらえなければ、検査を受ける人のハードルもさがっていくのかなと思ったりもしています。
HCV検査勧めるも患者受けず、医師の説明・説得に過失」という記事がありました。
医療者にも、市民にもいろいろなことをなげかける(わかりやすい)記事です。
シンプルにいうと、医師が検査を勧めたが、患者が自分の判断で受けなかった。患者が死亡したあとに、それは医師の落ち度として責任を追求した、というものです。
そこでどのような説明をどのような状況でしたのかということの詳細が法廷では争われるわけです(個々の訴訟には個別の細かい事情が)。
ある時点で医師は検査を勧めるべきだったとし、
"その上で、Bが96年検査の結果から勧めたC型肝炎ウイルス検査を患者が受けなかったときのBの対応について言及。人の生命や健康を管理すべき医師が患者の検査拒否を安易に受け入れるのは相当ではないとし、Bは検査を拒否する患者に、C型慢性肝炎の予後がどのようなもので、それを回避するためにどんな治療が必要かを説明し、検査を受けるよう説得を試みる義務があったと判断した。そして、C型肝炎ウイルスに感染した可能性しか伝えず、予後の重大性や治療の必要性を説明しなかったBの説明・説得義務違反を認めた。"
という事例をもとにした記事です。
今回はC型肝炎の検査を患者が希望しなかった(医師は何度かすすめたが)。どう説明したのかわかりませんし、患者が検査しなかった理由もわかりませんが。
全文を読んでいないので深入りはしませんが、同じようなことはいつでも起こりうるように思います。
世の中には「知りたくないの」という人がいることは事実です。
健康や救命がプライオリティではない人もいます。
リスク志向、リスクによって救われている、関係が保たれている、という場合もあります。
医師は検査をすすめるときにその理由も言うと思うんですが、それもきいてなお「知りたくないの」(悲観的) や 「(まだ)知らなくていいの」(楽観的?)な人もいるでしょうし、特に強い意図はないけど・・・な人もいるかもしれません。
その行動は「先延ばし(procrastination)」といわれるものであります。
行動の遅延によって今より状況が悪化することが予想されるにもかかわらず自発的に遅らせる人もいるわけです。
The nature of procrastination: a meta-analytic and theoretical review of quintessential self-regulatory failure.
医師の説明や説得不足で説明がつくのかなあ・・・というのが読んでの最初の感想でした。
ところで、、、肝炎検査では経験したことがありませんがHIV感染症では「先延ばし」はよくきかれます。
まずご本人。
「えーっと、今はいいです」(いつかやろうとは思っています)
それは3ヶ月前にしたばかりだからという場合もありますが、陽性かも、、と思うと怖くて受けれません、という方もいます。心の準備ができてから・・・。
それはHIV陽性の患者さんのパートナーでよく経験しました。
そのうち咳が止まらない、、、微熱が・・というような体調の変化などがきっかけとなり検査をされる方が多かったですが。
情報をたくさん持っている人ほど逡巡されたりもして、知識だけでは説明がつかないなあと思いました。
そのような人たちにもしも説得や強烈な働きかけをしたら、「こなくなってしまう(検査を受けないまま来づらくなってしまう)」ことを心配して、傾聴的に関わる医師も多いのだろうと想像します。しなくていいよ、とはいいませんが、待っているよアプローチです。
その場合も「早く治療をするメリットを失うこと」などは伝えてあるのですけれども。
このような場合「説得がたりん」みたいにいわれたらケアの本筋からはずれますよ。
まあ、この場合はご本人が納得、治療延期になるリスクを承知してですが、家族が後でそれを医師の不手際のようにいわれたらつらいですね。
では、ご本人ではない場合はどうでしょうか。
HIV陽性の患者さんがコンドームなしでセックスをした相手と今も一緒にいたとします。
可能性としてその人にうつっている確率はゼロではありません。その人からの感染の可能性もゼロではない場合もあります(どちらが先かはわからないことも)。
「相手の方にも検査をしてもらってください」と医師が言ったときに、すぐに検査に一緒に行くようなケースが多い印象ですが、中には「いや、相手にはいいたくないです」というようなケースもあります。
この場合はどうでしょうか。
検査をしたほうがいいですよ、、、と伝えるべき人は目の前(診察室)にはいません。
存在は知っていますし連絡先(自宅の電話)もしっていますが、日本では医療機関からそのようなアプローチをすることは原則ないと思います。
医療者は、その相手の人が感染していた場合に、エイズを発症して受診するようなことになることを心配します。
数年後(数ヵ月後)、具合が悪くなって近医を受診し、その医師が冴えていてHIVを鑑別にあげて検査をしたところ陽性。
すぐに治療をしないと危険なレベル。
今度はそこの医師から、パートナーの検査もしたほうがいいですよ、と言われます。
その人が自分の患者に検査をしたほうがいいよと言ってくるかは定かではありませんが、「いや、実は自分はすでに感染を知っていたのだ」と打ち明けたとします。
その方は「なぜ、自分に教えてくれなかったのだろう?」と考えて、場合によってはその怒りや悲しみの矛先は自分にむくかもしれません。
もちろん、自分の患者とその相手の人間関係の中での意思決定であり、医療者が直接関与しうることではなかったとしても、その人やその家族は治療上の利益を失ったことや、感染の時期を考えて(防げたかもしれないという理屈も成り立つので)自分を訴えるかもしれない。
そんな状況も起こりえます。
個人情報は原則保護されるものですが、諸外国ではこのような場合は、当事者の個人情報を伏せた上でHIV検査を勧めますというpublic health部門からの公式な文書をもって伝えることがあります。
Partner Notificationです。
HIVや梅毒が最優先でその対象となっているのは、放置すれば今でも死ぬリスクの高い感染症であり、母子感染のリスクのある感染症だからです。
日本は結核の場合は保健所が検査のおすすめをしてくれますが、HIVや梅毒ではしてもらえません。
治療がいまほどよいものではなかった時代、患者さんは告知されからの人生を砂時計にたとえ、また夜や一人の部屋で時計の音がチクタクいうのがとても怖くなったと言っていました。早く気づいて治療ができたほうがいいのでしょうが、知ったゆえの怖さや重荷もある。
検査でHIV陽性とわかったときに、「ほっとした」といった患者さもいました。
検査のたびにリスクのある日々が思い出されて苦悩して怖かった。病気は怖かったはずなのに、「次、陽性だったらどうしよう」という恐怖からは開放された、と説明してくれました。
検査を受ける決断をした患者さんは、体調不良で覚悟を決めたという方もいましたが、家族や友人が「健康でいてほしい」と本人に働きかけた例もありました。
何が背中を押すのかは人によります。
以上は数年前の話です。
今は良くも悪くも病気のイメージや語りが変わり、あまりnegativeにとらえなければ、検査を受ける人のハードルもさがっていくのかなと思ったりもしています。