『王様も文豪もみな苦しんだ 性病の世界史』から。
性感染症はいつ頃から知られていたのか?ですが、、、
『旧約聖書』の「レビ記」に、淋病についての記載(15章1−2)。
そして、15世紀、兵士の移動とともに病気も移動して拡大。
当時問題になっていたのは梅毒えす。
フランス軍は陰部の苦痛を「ナポリ病」とよび、イタリアン人は「フランス病」とよびました。
ドイツは「フランス病」、イギリスも「フレンチ瘡」、ポルトガル人は「スペイン瘡」、ポーランドは「ドイツ病」とよび、ロシアは「ポーランド疫病」とよびました。
1948年にはインドで、その7年後には中国の広東まで、1512年には日本の京都で症例が把握されていました。
この時点では「広東瘡」「南蛮病」とよばれていました。
その後、1527年にヴィーナス(セックス)に由来する苦しみ、性病と名付けたのはフランス人医師。
この時点では淋病と梅毒は同じ「性病」と思われており、その症状の違いは病期の違いと考えられていました。
人口が増加して人の往来が盛んになったことで梅毒が拡大します。
「その周辺」については、ここからです。
まず、そこで何か対応をせねばとなりまして、(ありきたりではありますが)、
ドイツ政府はまずは「警告パンフレット」などを作成。自粛/禁欲が効果的であり、もしもかかった場合は「偽医者」にかからないこと、誘惑/飲酒/乱交をしないことを警告。
男性には消毒剤やコンドームの使用をすすめ、女性には貞操を守り、夫以外とは交わらないようにと説明。
次に禁欲。一部の医師が不自然や限界を指摘して反対したものの、1917年、ハレ大学医学部は「セックスの抑制は24歳までの青年男子にとって全く無害。だから24歳までセックスをしないことが望ましい」という見解を発表。
次に殺菌消毒とコンドーム。
コンドームは下級労働者の週給が20マルクのころ、コンドーム1ダースが6マルク。ちょっと現実的ではなく、今より分厚いものでした(今のように薄手のラテックスコンドームが市場に出回ったのは1930年代)。
しかし、保守派がコンドームは婚外セックスの奨励にほかならないと反対。
1912年に裁判所が下した判決は「夫婦以外の性交渉はわいせつ行為。性病の感染防止や避妊のためにコンドームが用いられるのもわいせつ行為」。そしてコンドームの宣伝が禁止となりました。
第一次大戦のころは、生ゴムが不足し、コンドーム生産ができなくなったため、男性は「注射部屋」で殺菌消毒をしてもらうことになりました。兵士の性感染症予防のために、軍人専用の売買春施設が設置され、行列をなして「順番」を待ち、自分の番がくると、衛生担当の軍曹に名前と所属部隊を告げ、一番最近受けた検査結果を手渡し、料金を支払い、殺菌消毒液かコンドームを手渡されて「開始」。与えられた時間は10分。
しかしこのような方法をとっても兵士の性感染症はへらなかったそうです。(へらないでしょうねえ)
このあと、最後の4章「エイズ、現代の梅毒か?」では、初期にみられた社会のヒステリー反応、そのあとの著名人の死のエピソードを通じて、性感染症の問題が今につながっていることを伝えています。
著者は1971年、ドイツ生まれの女性。本の帯には「苦悩にみちた下半身の歴史」とあります。
ペニシリンをはじめとする抗菌薬の登場により、人間が勝利するかにみえましたが、「その周辺」は今もなお苦悩が続いています。それは「その3」に続きます。
王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史草思社
性感染症はいつ頃から知られていたのか?ですが、、、
『旧約聖書』の「レビ記」に、淋病についての記載(15章1−2)。
そして、15世紀、兵士の移動とともに病気も移動して拡大。
当時問題になっていたのは梅毒えす。
フランス軍は陰部の苦痛を「ナポリ病」とよび、イタリアン人は「フランス病」とよびました。
ドイツは「フランス病」、イギリスも「フレンチ瘡」、ポルトガル人は「スペイン瘡」、ポーランドは「ドイツ病」とよび、ロシアは「ポーランド疫病」とよびました。
1948年にはインドで、その7年後には中国の広東まで、1512年には日本の京都で症例が把握されていました。
この時点では「広東瘡」「南蛮病」とよばれていました。
その後、1527年にヴィーナス(セックス)に由来する苦しみ、性病と名付けたのはフランス人医師。
この時点では淋病と梅毒は同じ「性病」と思われており、その症状の違いは病期の違いと考えられていました。
人口が増加して人の往来が盛んになったことで梅毒が拡大します。
「その周辺」については、ここからです。
まず、そこで何か対応をせねばとなりまして、(ありきたりではありますが)、
ドイツ政府はまずは「警告パンフレット」などを作成。自粛/禁欲が効果的であり、もしもかかった場合は「偽医者」にかからないこと、誘惑/飲酒/乱交をしないことを警告。
男性には消毒剤やコンドームの使用をすすめ、女性には貞操を守り、夫以外とは交わらないようにと説明。
次に禁欲。一部の医師が不自然や限界を指摘して反対したものの、1917年、ハレ大学医学部は「セックスの抑制は24歳までの青年男子にとって全く無害。だから24歳までセックスをしないことが望ましい」という見解を発表。
次に殺菌消毒とコンドーム。
コンドームは下級労働者の週給が20マルクのころ、コンドーム1ダースが6マルク。ちょっと現実的ではなく、今より分厚いものでした(今のように薄手のラテックスコンドームが市場に出回ったのは1930年代)。
しかし、保守派がコンドームは婚外セックスの奨励にほかならないと反対。
1912年に裁判所が下した判決は「夫婦以外の性交渉はわいせつ行為。性病の感染防止や避妊のためにコンドームが用いられるのもわいせつ行為」。そしてコンドームの宣伝が禁止となりました。
第一次大戦のころは、生ゴムが不足し、コンドーム生産ができなくなったため、男性は「注射部屋」で殺菌消毒をしてもらうことになりました。兵士の性感染症予防のために、軍人専用の売買春施設が設置され、行列をなして「順番」を待ち、自分の番がくると、衛生担当の軍曹に名前と所属部隊を告げ、一番最近受けた検査結果を手渡し、料金を支払い、殺菌消毒液かコンドームを手渡されて「開始」。与えられた時間は10分。
しかしこのような方法をとっても兵士の性感染症はへらなかったそうです。(へらないでしょうねえ)
このあと、最後の4章「エイズ、現代の梅毒か?」では、初期にみられた社会のヒステリー反応、そのあとの著名人の死のエピソードを通じて、性感染症の問題が今につながっていることを伝えています。
著者は1971年、ドイツ生まれの女性。本の帯には「苦悩にみちた下半身の歴史」とあります。
ペニシリンをはじめとする抗菌薬の登場により、人間が勝利するかにみえましたが、「その周辺」は今もなお苦悩が続いています。それは「その3」に続きます。
王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史草思社