女性が活躍して輝くように練られている時代らしいですが、女性に失礼な話やバカにするようなニュースばかりでなんですので、時代や周囲に負けずにふんばって切り開いて行った女性のお話を紹介しようと思います。
関連の話は2013年に「ルーツをたどる」で紹介しています(^^)。
青木編集長の「ひいひいおばあさん」は濱口(岡田)ナオさん。
「ひいおばあさん」がナミさん。
ナオさんは濱口興右衛門(濱口英幹)さんと結婚。そう、咸臨丸に乗った濱口さんです。
一家は横須賀の造船所のある海軍の家族官舎で暮らしていました。
ある日、ナオさんは娘のナミさんをつれて実家のお墓参りに出かけると言って家を出ます。
そして、帰宅したときは一人でした。
「あれ。ナミは?」
「・・・・」
ナオさんはこのとき、ナミさんを横浜の女学校(現在のフェリス女学院)の寮に置いてきたそうです。
強行突破!
そう。ナオさんは、当時珍しかった基地の前の本屋さん(鈴木屋)で『女学雑誌』にフェリスの学生募集記事を見つけていたのでした。
「娘をここにいれよう!」・・・といっても、当時は今と違って女性の声、お嫁さんの立場はとても厳しい扱いでした。
しかも夫は「耶蘇」嫌い。相談したら絶対に反対されることはわかっていました。
ナオさんはこの件の罰として家を出され、近くの別の住宅に置かれたそうです。
「出て行けー」と言ったのかどうかはわかりませんが、女中さんがいても、賢いナオさんの不在の穴は大きく(きっと英幹さんは寂しかったのでしょう)ナオさんは本宅に無事もどったそうです。
当時の女学校は結婚するまで長くいることができ、ナミさんは都合8年フェリスの寮にいました。
寮にいる間も、髪型をより動きやすくシンプルなまとめ髪にすることを提案し、毎朝の支度の手間や苦労を軽減したリーダーでもありました。
日曜日には横浜共立とフェリスの女学生が列をなして横浜海岸教会の礼拝に。
日本初のプロテスタントの教会です。
ナミさんはここで、稲垣牧師から洗礼を受けます。
濱口家が暮らした横須賀の海軍基地には、土曜日に横浜方面から船でやってきた外国人女性らが、家庭料理を教えたりするサークルがあり、ナオさんやナミさんはここで英語やキリスト教に親しんでいたのだとお孫さんの女性からおしえていただきました。
そして、青木編集長の「ひいおじいさん」の甲子三(かしぞう)さんと結婚します。
甲子三は海軍の外科医です。
甲子三さんは人生半ばでクリスチャンになるのですが、それも娘さん(女性)の影響でした。
「おじいさん」の馨さんは、横須賀中学(県立横須賀高校)を経て、慈恵医大に進みます。
馨さんの妹の芳枝さんは現在の津田塾大学に進学。
青木編集長と医学/英語というのは、脈々とつながっているお話なんですね。
耶蘇が好きでなかった濱口英幹さん(ひいひいおじいさん 1830年~1894)。
なぜか晩年になり教会を建てる際のスポンサーに。
家系の方に「なぜですかね?」とお聞きしたところ、「ナオさんナミさんに申し訳ないことしたと思ってたんじゃないかしら」とのことでした。
ここは横須賀で一番目のプロテスタントの教会(現在の日本キリスト教会 横須賀教会)へとつながりました。
時代の先ゆくご先祖さまたちのお話part 2でした。
横浜の女性宣教師たち: 開港から戦後復興の足跡クリエーター情報なし有隣堂
関連の話は2013年に「ルーツをたどる」で紹介しています(^^)。
青木編集長の「ひいひいおばあさん」は濱口(岡田)ナオさん。
「ひいおばあさん」がナミさん。
ナオさんは濱口興右衛門(濱口英幹)さんと結婚。そう、咸臨丸に乗った濱口さんです。
一家は横須賀の造船所のある海軍の家族官舎で暮らしていました。
ある日、ナオさんは娘のナミさんをつれて実家のお墓参りに出かけると言って家を出ます。
そして、帰宅したときは一人でした。
「あれ。ナミは?」
「・・・・」
ナオさんはこのとき、ナミさんを横浜の女学校(現在のフェリス女学院)の寮に置いてきたそうです。
強行突破!
そう。ナオさんは、当時珍しかった基地の前の本屋さん(鈴木屋)で『女学雑誌』にフェリスの学生募集記事を見つけていたのでした。
「娘をここにいれよう!」・・・といっても、当時は今と違って女性の声、お嫁さんの立場はとても厳しい扱いでした。
しかも夫は「耶蘇」嫌い。相談したら絶対に反対されることはわかっていました。
ナオさんはこの件の罰として家を出され、近くの別の住宅に置かれたそうです。
「出て行けー」と言ったのかどうかはわかりませんが、女中さんがいても、賢いナオさんの不在の穴は大きく(きっと英幹さんは寂しかったのでしょう)ナオさんは本宅に無事もどったそうです。
当時の女学校は結婚するまで長くいることができ、ナミさんは都合8年フェリスの寮にいました。
寮にいる間も、髪型をより動きやすくシンプルなまとめ髪にすることを提案し、毎朝の支度の手間や苦労を軽減したリーダーでもありました。
日曜日には横浜共立とフェリスの女学生が列をなして横浜海岸教会の礼拝に。
日本初のプロテスタントの教会です。
ナミさんはここで、稲垣牧師から洗礼を受けます。
濱口家が暮らした横須賀の海軍基地には、土曜日に横浜方面から船でやってきた外国人女性らが、家庭料理を教えたりするサークルがあり、ナオさんやナミさんはここで英語やキリスト教に親しんでいたのだとお孫さんの女性からおしえていただきました。
そして、青木編集長の「ひいおじいさん」の甲子三(かしぞう)さんと結婚します。
甲子三は海軍の外科医です。
甲子三さんは人生半ばでクリスチャンになるのですが、それも娘さん(女性)の影響でした。
「おじいさん」の馨さんは、横須賀中学(県立横須賀高校)を経て、慈恵医大に進みます。
馨さんの妹の芳枝さんは現在の津田塾大学に進学。
青木編集長と医学/英語というのは、脈々とつながっているお話なんですね。
耶蘇が好きでなかった濱口英幹さん(ひいひいおじいさん 1830年~1894)。
なぜか晩年になり教会を建てる際のスポンサーに。
家系の方に「なぜですかね?」とお聞きしたところ、「ナオさんナミさんに申し訳ないことしたと思ってたんじゃないかしら」とのことでした。
ここは横須賀で一番目のプロテスタントの教会(現在の日本キリスト教会 横須賀教会)へとつながりました。
時代の先ゆくご先祖さまたちのお話part 2でした。
横浜の女性宣教師たち: 開港から戦後復興の足跡クリエーター情報なし有隣堂