清山先生、残念!
しかし、彼のHPにある下記の文章は本当に、若手医師たちにも読ませたい文章です。
http://kiyoyama.jp
「この道しかた無かった」
「全てをやり切ったので思い残すことはない」
これを語れる清山先生は、今後も様々な方面で大活躍し、悔いの無い人生を歩まれる事でしょう。
本当にご苦労様でした。そして、ありがとう!!
編集長
以下は大昔、編集長が週間医学会新聞に載せた「思い残さない」人生に関する文章
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自分に対する言いわけ 青木 眞(感染症コンサルタント)
もうだいぶ前のことになる。帰国後の周囲の状況があまりに厳しく,日本の医療事情,教育事情を大所高所から俯瞰できる先生にお会いして,今後の進路について相談したことがある。いただいた答えは,「10年以内にあなたが本当に活動できる場所が,日本にみつかる可能性はないだろう。米国に戻るか国内の外資系製薬会社,医療機器メーカーに勤めるように」というものであった。その後,いくつかの外資系企業との接点はあったものの契約成立にはいたらなかった。しかし,米国のビジネスマンの助けを借りて,契約書などを必死に検討したぶんだけ外資系企業が要求する質,その厳しさから学ぶものもたくさんあったと感じている。
その後,自分は日本にとどまり仕事をする中で,今度は若い先生方に相談を求められる立場になっている。特に,「米国に臨床留学したい」,「感染症を学びたい」という相談が多い。
しかし,安全な「約束された将来」を希望して相談にこられる若い先生方の多くは落胆される。新興・再興感染症,HIV感染症,狂牛病,炭疽病……と感染症が脚光を浴びる機会は多いが,その専門性を生かすような働き方や生き方の選択肢がかならずしも待っているわけではないからである。彼らが「約束された将来」を自分のものにするかどうかには,それぞれの努力,人柄,ネットワーク,運といった要素が絡んでくるだろう。さらに競争原理の働かない「安全」,「安定」といったものの背後には,時に「腐敗」,「不公平」といった側面があり,そのリスクから身を守りながら信念をもって働くことには困難が伴う。若い先生方の中には,この問題に気づかない方もいる。
2か月ほど前に,米国の大学から仕事のオファーをいただいた。「家族も親も連れてこい」と言ってくださる好意に感謝しながら,断る自分の心の中に迷いがなかったと言えば嘘になる。臨床研修を終えて帰国して10年。いくつかの仕事に区切りをつけて,次のステップを考えていたとは言え,40代後半になってなお自分を引きつける米国での診療の魅力は何か。それは,自由で公平な競争社会である。渡米前に諸先輩から聞かされていた恐ろしげな「容赦のない弱肉強食の社会」は,実は「苦労した者が苦労した分だけ報われる社会」でもあった。新卒であっても大ベテランであっても,努力が報われ,評価されることこそが非常に大きなモチベーションとなり,米国の医学・医療を高める根源となっている。日本には,この空気が乏しい。
私自身が若い先生方に確信をもって伝え得るメッセージが,1つだけある。それは,「今日,自分が明確な目標に向かって最大限の努力をすることはできるということ」である。おそらく自分の人生の中で米国からもらった最大のプレゼントは,「懸命に努力してみる」チャンスを与えられたことだと思う。そしてこの努力は,中途半端なものでは絶対に駄目である。安全・安心を確約されなくても,この「努力」という言葉に値する覚悟でのぞみ,それを成し遂げる信念をもてるような目標をみつけることである。
どのような選択においても迷いや計算はついてまわる。しかし,中途半端な努力は避けたほうがよい。それらは,「可能性」という言葉の中で埋もれていってしまうからである。「あの時,本当はもう少し頑張ればできたのだ」という過去の「可能性」を蓄積することほど悲しいことはない。留学してもしなくても,基礎医学に進んでも臨床医学に進んでも,「懸命に努力」した人に与えられる最大の報酬は,「自分は,これ以上できないところまで努力した」というその後の生き方を支える自信ではないかと思う。だから,若い先生方に,「留学試験になかなか合格できない」という相談をされた時の自分の答えは,「余分なことは一切捨て,自分に対して言いわけができないくらい頑張れ」の一言である。他人には,いくらでも言いわけが可能である。しかし,誰も自分のことをごまかすことはできない。
この言葉を送った研修医で,渡米の夢を達成していない人は1人もいない。
しかし、彼のHPにある下記の文章は本当に、若手医師たちにも読ませたい文章です。
http://kiyoyama.jp
「この道しかた無かった」
「全てをやり切ったので思い残すことはない」
これを語れる清山先生は、今後も様々な方面で大活躍し、悔いの無い人生を歩まれる事でしょう。
本当にご苦労様でした。そして、ありがとう!!
編集長
以下は大昔、編集長が週間医学会新聞に載せた「思い残さない」人生に関する文章
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自分に対する言いわけ 青木 眞(感染症コンサルタント)
もうだいぶ前のことになる。帰国後の周囲の状況があまりに厳しく,日本の医療事情,教育事情を大所高所から俯瞰できる先生にお会いして,今後の進路について相談したことがある。いただいた答えは,「10年以内にあなたが本当に活動できる場所が,日本にみつかる可能性はないだろう。米国に戻るか国内の外資系製薬会社,医療機器メーカーに勤めるように」というものであった。その後,いくつかの外資系企業との接点はあったものの契約成立にはいたらなかった。しかし,米国のビジネスマンの助けを借りて,契約書などを必死に検討したぶんだけ外資系企業が要求する質,その厳しさから学ぶものもたくさんあったと感じている。
その後,自分は日本にとどまり仕事をする中で,今度は若い先生方に相談を求められる立場になっている。特に,「米国に臨床留学したい」,「感染症を学びたい」という相談が多い。
しかし,安全な「約束された将来」を希望して相談にこられる若い先生方の多くは落胆される。新興・再興感染症,HIV感染症,狂牛病,炭疽病……と感染症が脚光を浴びる機会は多いが,その専門性を生かすような働き方や生き方の選択肢がかならずしも待っているわけではないからである。彼らが「約束された将来」を自分のものにするかどうかには,それぞれの努力,人柄,ネットワーク,運といった要素が絡んでくるだろう。さらに競争原理の働かない「安全」,「安定」といったものの背後には,時に「腐敗」,「不公平」といった側面があり,そのリスクから身を守りながら信念をもって働くことには困難が伴う。若い先生方の中には,この問題に気づかない方もいる。
2か月ほど前に,米国の大学から仕事のオファーをいただいた。「家族も親も連れてこい」と言ってくださる好意に感謝しながら,断る自分の心の中に迷いがなかったと言えば嘘になる。臨床研修を終えて帰国して10年。いくつかの仕事に区切りをつけて,次のステップを考えていたとは言え,40代後半になってなお自分を引きつける米国での診療の魅力は何か。それは,自由で公平な競争社会である。渡米前に諸先輩から聞かされていた恐ろしげな「容赦のない弱肉強食の社会」は,実は「苦労した者が苦労した分だけ報われる社会」でもあった。新卒であっても大ベテランであっても,努力が報われ,評価されることこそが非常に大きなモチベーションとなり,米国の医学・医療を高める根源となっている。日本には,この空気が乏しい。
私自身が若い先生方に確信をもって伝え得るメッセージが,1つだけある。それは,「今日,自分が明確な目標に向かって最大限の努力をすることはできるということ」である。おそらく自分の人生の中で米国からもらった最大のプレゼントは,「懸命に努力してみる」チャンスを与えられたことだと思う。そしてこの努力は,中途半端なものでは絶対に駄目である。安全・安心を確約されなくても,この「努力」という言葉に値する覚悟でのぞみ,それを成し遂げる信念をもてるような目標をみつけることである。
どのような選択においても迷いや計算はついてまわる。しかし,中途半端な努力は避けたほうがよい。それらは,「可能性」という言葉の中で埋もれていってしまうからである。「あの時,本当はもう少し頑張ればできたのだ」という過去の「可能性」を蓄積することほど悲しいことはない。留学してもしなくても,基礎医学に進んでも臨床医学に進んでも,「懸命に努力」した人に与えられる最大の報酬は,「自分は,これ以上できないところまで努力した」というその後の生き方を支える自信ではないかと思う。だから,若い先生方に,「留学試験になかなか合格できない」という相談をされた時の自分の答えは,「余分なことは一切捨て,自分に対して言いわけができないくらい頑張れ」の一言である。他人には,いくらでも言いわけが可能である。しかし,誰も自分のことをごまかすことはできない。
この言葉を送った研修医で,渡米の夢を達成していない人は1人もいない。