お早うございます。
週の始め、忙しいStartをきっておられると思います。
「おまえはいいよなフリーターだから月曜の朝から暇で・・」と思われる方も沢山おられるでしょう。
まあ、フリーターならではの知識をUpdateする努力、精神状態や体調を一定に保つ努力というのもあるんでけどね・・汗
一昨日(土曜日)は神戸市立医療センター中央市民病院の土井朝子先生のお招きで「感染症診療の原則」を話す機会がありました。
質問も沢山頂いて充実した時間でした。
(以前に比較して薬剤師の参加が多くなってきたのが、青木のSessionの特徴。25%は薬剤師だったかな・・)
勿論、After fiveも充実しておりました。(どうしたわけか、3夜連続の四川料理となりましたが・・)
という事で翌日、10月16日(日)はゆっくりと神戸の午後を楽しみました。三宮の喫茶店で美味しい珈琲とケーキを頂きながら村上春樹の「職業としての小説家 (新潮文庫) 」を読んでおりました。
https://www.amazon.co.jp/職業としての小説家-新潮文庫-村上-春樹/dp/4101001693/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1476655795&sr=8-1&keywords=職業としての小説家
そこに非常に興味深い事が・・
村上春樹が初めて小説を書こうとした時、万年筆と原稿用紙では上手に書き始められなかったが、オリベッティのTypewriterで英語で書き始めたら「行けた」という事です。 これは、編集長の経験とも一致する(というか、かなり英語を日常的に話す事を強いられた人に共有されるものではないか、と思います)
当然、語彙など極めて限られている外国語である英語なのですが、あちこち思い巡らしたり、言葉を選ぶ余裕もないので極めてStraight Forwardに文章が生まれるのです。編集長も色々な複雑な事を考える時、自然に英語混じりの日本語になったり、英語だけになったりするのです。
(帰国直後に働いていた聖路加病院の研修医は、編集長が怒り出すと英語になっていたので「何を叱られているか分からなかった・・」という笑い話も似たような事だったでしょう)
Kentucky大学の研修医時代、1ヶ月に100人以上の退院があり、退院時サマリーは24時間以内に書かないと研修が存在しなくなるRuleでした。雑用をこなしながらDischarge SummaryをDictationする時、大変だったか・・。まあ、それなりに慌ただしさはありましたが、英語である事による余分な負荷は感じませんでした。かえって何となく、スラスラとFormatに沿って話せたものです。
最近、「編集長のPresentationのコツは・・?」といった質問を多く受けるのですが、少し英語が話せるならば、英語で原稿を作るのも良いかも知れません。言霊という事、即ち使用する言語を変えると考え方も変わるというのは本当ですから・・
週の始め、忙しいStartをきっておられると思います。
「おまえはいいよなフリーターだから月曜の朝から暇で・・」と思われる方も沢山おられるでしょう。
まあ、フリーターならではの知識をUpdateする努力、精神状態や体調を一定に保つ努力というのもあるんでけどね・・汗
一昨日(土曜日)は神戸市立医療センター中央市民病院の土井朝子先生のお招きで「感染症診療の原則」を話す機会がありました。
質問も沢山頂いて充実した時間でした。
(以前に比較して薬剤師の参加が多くなってきたのが、青木のSessionの特徴。25%は薬剤師だったかな・・)
勿論、After fiveも充実しておりました。(どうしたわけか、3夜連続の四川料理となりましたが・・)
という事で翌日、10月16日(日)はゆっくりと神戸の午後を楽しみました。三宮の喫茶店で美味しい珈琲とケーキを頂きながら村上春樹の「職業としての小説家 (新潮文庫) 」を読んでおりました。
https://www.amazon.co.jp/職業としての小説家-新潮文庫-村上-春樹/dp/4101001693/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1476655795&sr=8-1&keywords=職業としての小説家
そこに非常に興味深い事が・・
村上春樹が初めて小説を書こうとした時、万年筆と原稿用紙では上手に書き始められなかったが、オリベッティのTypewriterで英語で書き始めたら「行けた」という事です。 これは、編集長の経験とも一致する(というか、かなり英語を日常的に話す事を強いられた人に共有されるものではないか、と思います)
当然、語彙など極めて限られている外国語である英語なのですが、あちこち思い巡らしたり、言葉を選ぶ余裕もないので極めてStraight Forwardに文章が生まれるのです。編集長も色々な複雑な事を考える時、自然に英語混じりの日本語になったり、英語だけになったりするのです。
(帰国直後に働いていた聖路加病院の研修医は、編集長が怒り出すと英語になっていたので「何を叱られているか分からなかった・・」という笑い話も似たような事だったでしょう)
Kentucky大学の研修医時代、1ヶ月に100人以上の退院があり、退院時サマリーは24時間以内に書かないと研修が存在しなくなるRuleでした。雑用をこなしながらDischarge SummaryをDictationする時、大変だったか・・。まあ、それなりに慌ただしさはありましたが、英語である事による余分な負荷は感じませんでした。かえって何となく、スラスラとFormatに沿って話せたものです。
最近、「編集長のPresentationのコツは・・?」といった質問を多く受けるのですが、少し英語が話せるならば、英語で原稿を作るのも良いかも知れません。言霊という事、即ち使用する言語を変えると考え方も変わるというのは本当ですから・・