新興・再興感染症(しんこうさいこうかんせんしょう)というタームがあります。新興のほうはわかりやすい。一瞬燃え盛ったために新しく認知された感染症です。例えばSARSとかMERS。でも、原因となったコロナウイルスじたいは前から知られていて、その仲間のひとつだけど新顔デビュー的な側面があります。
(系統樹、をみると参考になります)
エイズの原因であるHIVは1982年頃に「原因はなんだ!」と原因ウイルスが確定するまでは新しい病気でありましたが、その後アフリカ地域に保存されている血液(研究のために専門家が大事にとっておいたんですね)を調べたら1920年くらいから現地では人々の間で感染があった、でも急性呼吸器感染症や下痢症、よくわからない病気でたくさんの人が命を落としている日常があるので(検査とかありませんし)、「もともと健康な男性が急に免疫不全?」という把握のされかたをしなかったんですね。
「再興感染症」のほうは、昔はやっていたけど、その後なんとかおさまって(おさめることができて)いたんだけど、ありゃりゃ、また増えてきちゃったよ。どうする?という話です。
感染症は天然痘のように「根絶」をしないかぎりは、対策の手を緩めれば再び猛威を振るう可能性があります。
「再興感染症」の話は、サイエンスや臨床というよりは、実は人や社会の話。もっというと、人間の怠惰とか傲慢とか、浅はかさの話のように感じます。
成熟した社会では、そういった人間の弱さやダメさを前提とした、それに負けない策も講じられているように思います。
学びたい時は病因のお医者さんじゃなくて、歴史学社会学や人類学の分野の専門家からまずお話をきいてみることをおすすめしています。
立川昭二『病気の社会史 文明に探る病因』岩波現代文庫
p.205第7章 コレラをめぐる政府と民衆
明治12年のコレラの大流行にさいし、政府はさっそく内務省に内外の医師をまねいて「中央衛生会」、ついで「地方衛生会」を組織。住民参加の「町村衛生員」制度をつくり、コレラに立ち向かいました。
「しかしひとたび流行がしずまると、政府はコレラ問題を忘れ、予算を出し渋り、せっかくみのりかけた地方衛生組織をつぶしてしまう」
(・・・どこかで聞いたような)
明治政府は伝染病対策をいっとき警察にさせ、人々の不信をかいました。
感染者をみつけて隔離、それもかなりひどい環境にいれたりしていたので、東大の内科教師だったベルツはその怒りを日記に記しています。
当時の様子を伝える資料
明治の避病院 - 駒込病院医局日誌抄 / 東京市営最初の総合病院 築地施療病院の生涯
コレラは医療の発達によって先進国では死亡することはまれですが、公衆衛生や医療が脆弱な地域にもちこまれると拡大しやすい病気です。
最高感染症でもうひとつあげるとしたら結核でしょうか。
結核の蔓延は産業革命後の長時間動労、都市での過酷な住環境、低栄養に加え、労働力供給源である農村部間の人の移動などが関わっています。
p.157 第5章 産業革命と結核
「いかなる国においても、結核が急増するのは社会経済が農村型から産業型に移行していく転換期であり、そのピークをすぎ、繁栄がひろまるにつれ、その死亡率は低下する」
現在、国をあげて訪日外国人を増やそうとしていますが、このようななかで留学生や研修生、働く人やその家族が結核流行国からもたくさんの人が来ています。人の行動、社会の動きとあわせて感染症の対策をしていかないといけないのですが、それはじゅうぶんできているんでしょうか?
The Impact of New York City’s 1975 Fiscal Crisis on the Tuberculosis, HIV, and Homicide Syndemic
Am J Public Health. 2006 March; 96(3): 424–434.
Tuberculosis in New York City — Turning the Tide
N Engl J Med 1995; 333:229-233July 27, 1995
「伝染病が流行するには、病原微生物をもってきただけではたりない。流行はみな、なんらかの社会的状況で条件づけられている」(デュポス『健康という幻想』)
2015年3月に麻疹排除となりましたが、あーおわったおわった、というわけではなく、その後も私たちは努力を続けなくてはいけないこと、2013年にたくさんの妊婦さんと赤ちゃんが犠牲になった風疹の流行から学んだことをとりくまずに、「新興再興感染症対策がですね・・・」とか語れないわけです。
できることからとりくみましょう。
病気の社会史―文明に探る病因 (岩波現代文庫)岩波書店
ベルツの日記〈上〉 (岩波文庫)クリエーター情報なし岩波書店
健康という幻想紀伊國屋書店
再興感染症でかたらないといけないもう一つの病気は梅毒ですが、このブログ内にいろいろ記事をあげているので今回は省略〜
「万延元年の梅毒対策」
(系統樹、をみると参考になります)
エイズの原因であるHIVは1982年頃に「原因はなんだ!」と原因ウイルスが確定するまでは新しい病気でありましたが、その後アフリカ地域に保存されている血液(研究のために専門家が大事にとっておいたんですね)を調べたら1920年くらいから現地では人々の間で感染があった、でも急性呼吸器感染症や下痢症、よくわからない病気でたくさんの人が命を落としている日常があるので(検査とかありませんし)、「もともと健康な男性が急に免疫不全?」という把握のされかたをしなかったんですね。
「再興感染症」のほうは、昔はやっていたけど、その後なんとかおさまって(おさめることができて)いたんだけど、ありゃりゃ、また増えてきちゃったよ。どうする?という話です。
感染症は天然痘のように「根絶」をしないかぎりは、対策の手を緩めれば再び猛威を振るう可能性があります。
「再興感染症」の話は、サイエンスや臨床というよりは、実は人や社会の話。もっというと、人間の怠惰とか傲慢とか、浅はかさの話のように感じます。
成熟した社会では、そういった人間の弱さやダメさを前提とした、それに負けない策も講じられているように思います。
学びたい時は病因のお医者さんじゃなくて、歴史学社会学や人類学の分野の専門家からまずお話をきいてみることをおすすめしています。
立川昭二『病気の社会史 文明に探る病因』岩波現代文庫
p.205第7章 コレラをめぐる政府と民衆
明治12年のコレラの大流行にさいし、政府はさっそく内務省に内外の医師をまねいて「中央衛生会」、ついで「地方衛生会」を組織。住民参加の「町村衛生員」制度をつくり、コレラに立ち向かいました。
「しかしひとたび流行がしずまると、政府はコレラ問題を忘れ、予算を出し渋り、せっかくみのりかけた地方衛生組織をつぶしてしまう」
(・・・どこかで聞いたような)
明治政府は伝染病対策をいっとき警察にさせ、人々の不信をかいました。
感染者をみつけて隔離、それもかなりひどい環境にいれたりしていたので、東大の内科教師だったベルツはその怒りを日記に記しています。
当時の様子を伝える資料
明治の避病院 - 駒込病院医局日誌抄 / 東京市営最初の総合病院 築地施療病院の生涯
コレラは医療の発達によって先進国では死亡することはまれですが、公衆衛生や医療が脆弱な地域にもちこまれると拡大しやすい病気です。
最高感染症でもうひとつあげるとしたら結核でしょうか。
結核の蔓延は産業革命後の長時間動労、都市での過酷な住環境、低栄養に加え、労働力供給源である農村部間の人の移動などが関わっています。
p.157 第5章 産業革命と結核
「いかなる国においても、結核が急増するのは社会経済が農村型から産業型に移行していく転換期であり、そのピークをすぎ、繁栄がひろまるにつれ、その死亡率は低下する」
現在、国をあげて訪日外国人を増やそうとしていますが、このようななかで留学生や研修生、働く人やその家族が結核流行国からもたくさんの人が来ています。人の行動、社会の動きとあわせて感染症の対策をしていかないといけないのですが、それはじゅうぶんできているんでしょうか?
The Impact of New York City’s 1975 Fiscal Crisis on the Tuberculosis, HIV, and Homicide Syndemic
Am J Public Health. 2006 March; 96(3): 424–434.
Tuberculosis in New York City — Turning the Tide
N Engl J Med 1995; 333:229-233July 27, 1995
「伝染病が流行するには、病原微生物をもってきただけではたりない。流行はみな、なんらかの社会的状況で条件づけられている」(デュポス『健康という幻想』)
2015年3月に麻疹排除となりましたが、あーおわったおわった、というわけではなく、その後も私たちは努力を続けなくてはいけないこと、2013年にたくさんの妊婦さんと赤ちゃんが犠牲になった風疹の流行から学んだことをとりくまずに、「新興再興感染症対策がですね・・・」とか語れないわけです。
できることからとりくみましょう。
病気の社会史―文明に探る病因 (岩波現代文庫)岩波書店
ベルツの日記〈上〉 (岩波文庫)クリエーター情報なし岩波書店
健康という幻想紀伊國屋書店
再興感染症でかたらないといけないもう一つの病気は梅毒ですが、このブログ内にいろいろ記事をあげているので今回は省略〜
「万延元年の梅毒対策」