本日からはICAAC Lectureです。
肺炎球菌の世界は深い。エキスパートの歴史の振り返りは本当にExcitingです。
演者はKeith Klugman@Bill & Melinda Gates Fndn.
歴史
・George M. Sternberg New Orleansで肺炎球菌を検出。19世紀 1880年
・Louis J. Pasteur Parisで肺炎球菌を検出 1881年
・Carl Friedlander Berlinで肺炎を起こす菌を検出 1882年
・当時は、その形態からDiplococcusと言われた。
・Almonth E. Wrightはwhole-cell heat-killed pneumococcal vaccineを5万人の炭鉱夫に投与 Lancet 1914年 効果は??
・Spencer Lister 1914年
・Optochinに対する肺炎球菌の試験管内での感受性 1911年 (今でもLaboで他のα連鎖球菌との区別に使用される)これに基づいて人間にOptochinを投与したところ12%が失明した。
・1918年のスペイン風邪(インフルエンザ)では80%に肺や胸水から肺炎球菌が検出された。インフルエンザ後の肺炎に肺炎球菌が問題になるという事実が思い出される。
―――――――――――――
血清型
・1923-29年 Oswald T. AveryとMichaelHeidelbergerは肺炎球菌の莢膜抗原がCHO(炭水化物)であり、血清型の基とした。
・1929年 Oswald T. AveryはCHOとタンパクを結合させると免疫源性が増した。(今日の結合型ワクチンの始まり)
・1930年代 抗生物質が無かったので、患者の肺炎球菌を取り出し、馬などを使用して肺炎球菌の血清を作って投与した。血清を使用しても沢山亡くなったが、非使用例に比較して死亡率は半分にできた。
―――――――――――――
肺炎球菌多糖体ワクチン
・Maxwell FinlandらはSerotype-specific pneumococcal vaccineを作成(ハーバード大学とロックフェラーで)
・Colin M. MacLendは陸軍を対象に肺炎球菌ワクチンを試用した。J. Exp Med 1945;82:445-
70万人ずつのワクチン、非ワクチン組に分けての研究。ワクチン組は4人、非ワクチン組は26人が発症。保菌への影響も検討された。
・1960年代:Austrian R Gold:菌血症を伴う肺炎:何もしないと80%の死亡率、「血清治療」で死亡率が半減。そしてペニシリンで死亡率が10%と著明に減少。(死亡は5日以内) 研究者はペニシリンでも効果は不十分と判断(10%は受け入れがたい・・)。ワクチンの道へ進む。
・1980年 John B Robbinsらは結合型ワクチンを使用。最初はHibに使用。やがて肺炎球菌ワクチンも結合型へ
肺炎球菌の世界は深い。エキスパートの歴史の振り返りは本当にExcitingです。
演者はKeith Klugman@Bill & Melinda Gates Fndn.
歴史
・George M. Sternberg New Orleansで肺炎球菌を検出。19世紀 1880年
・Louis J. Pasteur Parisで肺炎球菌を検出 1881年
・Carl Friedlander Berlinで肺炎を起こす菌を検出 1882年
・当時は、その形態からDiplococcusと言われた。
・Almonth E. Wrightはwhole-cell heat-killed pneumococcal vaccineを5万人の炭鉱夫に投与 Lancet 1914年 効果は??
・Spencer Lister 1914年
・Optochinに対する肺炎球菌の試験管内での感受性 1911年 (今でもLaboで他のα連鎖球菌との区別に使用される)これに基づいて人間にOptochinを投与したところ12%が失明した。
・1918年のスペイン風邪(インフルエンザ)では80%に肺や胸水から肺炎球菌が検出された。インフルエンザ後の肺炎に肺炎球菌が問題になるという事実が思い出される。
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血清型
・1923-29年 Oswald T. AveryとMichaelHeidelbergerは肺炎球菌の莢膜抗原がCHO(炭水化物)であり、血清型の基とした。
・1929年 Oswald T. AveryはCHOとタンパクを結合させると免疫源性が増した。(今日の結合型ワクチンの始まり)
・1930年代 抗生物質が無かったので、患者の肺炎球菌を取り出し、馬などを使用して肺炎球菌の血清を作って投与した。血清を使用しても沢山亡くなったが、非使用例に比較して死亡率は半分にできた。
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肺炎球菌多糖体ワクチン
・Maxwell FinlandらはSerotype-specific pneumococcal vaccineを作成(ハーバード大学とロックフェラーで)
・Colin M. MacLendは陸軍を対象に肺炎球菌ワクチンを試用した。J. Exp Med 1945;82:445-
70万人ずつのワクチン、非ワクチン組に分けての研究。ワクチン組は4人、非ワクチン組は26人が発症。保菌への影響も検討された。
・1960年代:Austrian R Gold:菌血症を伴う肺炎:何もしないと80%の死亡率、「血清治療」で死亡率が半減。そしてペニシリンで死亡率が10%と著明に減少。(死亡は5日以内) 研究者はペニシリンでも効果は不十分と判断(10%は受け入れがたい・・)。ワクチンの道へ進む。
・1980年 John B Robbinsらは結合型ワクチンを使用。最初はHibに使用。やがて肺炎球菌ワクチンも結合型へ