年度末までに次年度からの風疹対策を話し合う委員会が開催されていますが、、、、
その間にもCRSのお子さんが生まれ、不安を抱えている妊婦さんがいます。
流行がピークを越えて、人々の関心が低下する中で、
ワクチンでの予防以外にもやっていかないといけないことについて、理解を深めるために、いくつかのエピソードを紹介します。
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私は白内障になった風シン障害児をもつ母親です。
子どもはこれまで四回も手術をし、ようやく1メートルくらいのところまでものが見えるようになりました。
しかし、まだ治療の途中で、ほんとうによくなるまであとどれだけかかるか見当もつきません。
このように治療期間が長いうえ、医療費が高いので、私たちのような普通の家庭では経済的にも精神的にも大変な苦痛です。
ところで政府の調査団によると、沖縄には、私のこどものような風シン障害児が384人もいるといいます。
あまりに多いのでびっくりしました。
症状は聴力障害、心臓障害、白内障といろいろですが、はたして沖縄で十分な治療を受けられたかどうか、同病の子を持つ親として心配になりました。
さいわい政府が、重症児を本土で手術したり医師団を派遣するなどの方針を決めたのでほっとしましたが、一日も早く治療を実施してあげてください(千葉県/主婦)
(1969年2月25日の読売新聞への投稿欄から)
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沖縄の"風しん児"MCちゃん(3歳、宜野湾市)の目の手術が(3月)8日午前8:30から福岡・九州大学附属病院で行われた。
沖縄には、母親が妊娠中、風しんにかかったため、出生後目や心臓に障害が出る"風しん児"が多いが、C子ちゃんは日本、琉球両政府が援助した最初の患者。
C子ちゃんはこれまで10cm以内のものがやっと見える程度のソコヒ(白内障)におかされていたが、松井弘治主治医の話では、この日の右目の手術に続いて左目も手術、その後はコンタクトレンズで視力の回復をはかる。
この日の手術は、水晶体の白い濁りを除去するもので、わずか15分で終了。入院は1カ月くらいですみそう。
C子ちゃんと同じように、本土の病院に入院を望む沖縄の風しん児はかなりの数にのぼり、風しん児を助ける運動が広がっているが、いまのところ、来年9月までに24人が両政府の援助で手術を受けることになっている。
(1969年7月8日 読売新聞 話の港)
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さる昭和39年から40年にかけ、沖縄全土で三日はしか(風シン)が大流行し、その影響で多くの先天性難聴児が生まれた。その救済のため、「日本ユネスコ善意銀行が古切手運動をおこし、その資金でそれまでにわかっていた難聴児400人全員に補聴器を贈った。
本土の善意が実ったわけだが、この難聴児教育のため、8月に本土から派遣された第二次教育指導団の調査で、沖縄にはこのほかに700人もの難聴児がおり、大半が検診も受けずに放置されていることが明らかになった。
(略)
団員のひとり、山本栄一医師の話では、ある小学校で10歳になる1人の女生徒が、難聴児であることがわからず、精薄学級に組み入れられていた例もある。検査した結果、知能指数は平常。難聴のため言葉をよくしゃべれないことから精薄児扱いされていたのだ。
(1969年9月18日 読売新聞 まだ多い沖縄の難聴児より)
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そして、ご自身でCRSの経験についてホームページで情報発信をしている さくらこさん。
http://sakurasakuko.sakura.ne.jp/crs/profile/greeting.html
2013年10月2日「先天性白内障と術後合併症の緑内障について」
1989年3月から約25年間にわたる思い出を読ませていただくと、風疹が1人の人やご家族に与えるインパクトを理解していただけると思います。
ワクチンが普及して、どのような病気なのか、何がリスクなのか、実感できなくなっている時代。
当事者の語りはとても重みを増しています。
ぜひご関係の方に広く読んでいただきたいとおもいます。
ほかにも患者会の手記をPDFで読むことができます。
※Action 4 のところに掲載されています。
当事者の会 hand in handのブログ