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Channel: 感染症診療の原則
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痛みや屈辱は嫌ですよね・・・

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編集長、夏休みをいただき海外に逃避リフレッシュ中であります。
そのうち面白い写真なども届くでしょう。
編集長への急ぎの問い合わせは idconsultofficeあっとgmail.comへおねがいします。

さて。
先日、メディアドクター研究会という勉強会に参加してきました。
毎回感染症の話題というわけではなく、今回はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)がテーマだったためです。
各国にも同様の取り組みがあるようです。

報道関係者、医療関係者、元報道で今は医師、というような方が参加しており、普段きけない意見などもあって面白かったです。

なぜ参加しようかとおもったかというと、HPVワクチンの報道について「あれ?」と思うことがあったからですね。

ワクチンの報道の歴史を知る人も同じようなことを言っていましたが、今回「国として積極的勧奨を差し控える(けれども接種は定期で無料)」というわかりに日本語で表現され、調査の結果が秋ごろまとまったらこの先どうなるのかが決まる、というところにたっています。

諸外国からは「どうしちゃったの?その日本語よくわかんないよ(日本人でもよくわかりません)」と聞かれるわけですが、この暫定処置はさておき、これに関するメディアの報じ方が興味深いと思ったからです。

例えば、昔を知る人は「だいぶましになったんじゃないか」と言っていました。
センセーショナルな反応をせずに冷静になった・・・といったところです。
記事を書く人が変わったのか(担当が)、その人自身がセミナーなどで変わった(進化や変身)したのか。
誰かの素敵なレクが功を奏したのでしょうか。

(陰謀論が好きな人は「金でコントロールされているにちがいない」的がお約束)

同じ媒体でも社会部と科学部の反応はだいぶちがうよねえ・・・・というようなことは観察研究で皆が言っていることであります。
ちなみに、毎日と読売は特集(連載)を組んでいました。


そうなのかなあ、冷静なのかなあ、ワクチンの知識がメディアに広がったからなのかなあ・・・・と熱い夏の日に考えていました。


勉強会でも話題になっていましたが、「前に自分が言っていたことを違うことを言うことには躊躇や痛みがある」ということを考えてみました。

2010年くらいからのこのワクチンの記事をずっと見ている中で、なぜ皆同じような内容なのだろう?というのが一つの疑問でした。
例えば、日本より先行した海外では賛否両論あったわけです。ワクチンそのものはアンチの人以外は反対はしていませんが、それを公的プログラムに入れて皆に勧めるのか(つまりは公費にするのか)だれを対象にするのかというあたりです。

カナダやオーストラリアのようなPublic Healthの強い国でも、臨床医らが費用対効果の問題指摘をずっとしていましたし、政府の審査部門が時間をかけて検討していました。

日本では、独自データも少ないし、疫学データ上も?なうえ、ワクチンを積極的に支持する専門家からさえも「なぜ水痘やムンプス、B型肝炎ワクチンよりさきにHPVワクチンが定期なのだ?」という指摘が出ていた中で、このワクチンが導入されました。
お金ナイナイ言うさなかでです。

ここで編集部はある陰謀論を思いつきました。「隠されたがんデータがあるのかもしれないっ!実はすげー多いのではっ」
(いや、もちろん妄想ですぜ)
それ以外に強硬に主張するような根拠がそもそもありません。

それはさておき。

メディアって社会や権力の監視機能的役割をもつわけですから、一紙くらい「おかしくね?」とか海外との比較。。。などをなぜ書かなかったんだろう?と思ったわけです。

いや、そう思っている記者がいたことは知っているんですが、結果としてメディアはイケイケどんどん的な役割をしていたのは記事のデータベースを見るとよくわかります。

その事実をもとに、HPVワクチン接種後の副反応報道を考えてみた、というわけです。

そう。ざっくばらんにいうと「ひっこみがつかなくなった」的な反応もあるんじゃないかと。
(過度にセンセーショナルな扱いにならなくって結果的にはよかったんですけれども)


余談ですが、上記のようなことは原発事故後の情報や語りを見ていても思います。

初期の影響がよくわからない時には考えうる問題を列挙して最大限の予防策をとるというのが原則論だと思います。
その後、1次情報や専門家の知見、まとまったデータが出てきて、複数の比較などもできるようになり、最大限のリスクを考えていた対策も、どの部分は緩めて大丈夫なのか、どこはまだやったほうがいいのかという重みづけができる段階に入ってだいぶたちます。

何でもひっくるめて危険を連呼したり、特定のストーリーに固執すると、その時点でとりうる選択肢や安心を狭めてしまったりnegativeな方向へいきかねません。
そこでも、変われない、変わりたくない、リスクを叫ぶことが主目的になってしまって、そこからずれると自己否定になっちゃうようなモードになると危険だなあ、と思うわけです。

かっこよくないかもしれないけど、あれは間違っていた、というのは屈辱かもしれないけれど、
新しい自分になるターニングポイントを逃して、維持するための無理な語りを続けてつらい思いをするよりいいんじゃないか〜です。戦争について考えることの多いシーズンだからちょっと時間をかけて考えてみました。


(日常的には、編集部内の会話は「次のごはんんは何をたべようか」という1次欲求ベースのものです。はい)




言えない空気って怖い。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))文藝春秋


振り上げた拳を下す場所やタイミングを逃して苦しんだりすることは、職場や家庭内でも日常的にありますね・・・

医療関係者のための信念対立解明アプローチ: コミュニケーション・スキル入門誠信書房

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