1979年頃、沖縄県立中部病院でG.C.Willis先生と共に救急の寺澤先生や自分に強烈な印象を残した内科医に宮里不二彦先生がいました。寺澤先生曰く「不二彦先生に会わなければ内科系に進むことはなかっただろう」
その寺澤先生や青木にとり神のような存在であった不二彦先生ですが、ある日突然講演に伺っていた県立南部医療センターの医局に来られて「青木の感染症のマニュアルの総論はとても良いね」と褒めて下さったのでした。(「他のChapterは普通なんだけど・・」というコメントも続きましたが・・(笑)
だから何・・と思われるでしょうが、自分にとって生涯、勲章として記憶に残るコメントでした。宮里先生も高齢化され、自分も第一線から遠くなりつつある今、何となくBlog掲載しておきたくなりました。
その寺澤先生や青木にとり神のような存在であった不二彦先生ですが、ある日突然講演に伺っていた県立南部医療センターの医局に来られて「青木の感染症のマニュアルの総論はとても良いね」と褒めて下さったのでした。(「他のChapterは普通なんだけど・・」というコメントも続きましたが・・(笑)
だから何・・と思われるでしょうが、自分にとって生涯、勲章として記憶に残るコメントでした。宮里先生も高齢化され、自分も第一線から遠くなりつつある今、何となくBlog掲載しておきたくなりました。