日野原重明先生が天に召されました。
http://www.asahi.com/articles/ASK3R7QBZK3RULBJ01T.html
「アメリカに残るしかない・・」と諦めていた編集長が25年前に帰国できたのも日野原重明先生のお陰でした。
・ド田舎のKentuckyで日野原先生から、お手紙を頂いた時の興奮は忘れません。写真はその手紙と封筒
・聖路加国際病院で採用して下さると・・・
・早速、Chicagoに飛来される日野原先生のお会いすべく10時間ドライブしてChicagoまでいったのでした
・日野原先生が初めて日本の医学界に紹介されたLaurence Tierney先生と初めてお会いしたのも25年前、日野原院長室でした・・
・その後、ご恩に十分報いるどころか、落胆・失望させて仕舞う事の多かった編集長の人生でしたが、それでも赦して下さっていた大きな方でした・・
写真は医学書院で鼎談させて頂いた時に過去の非礼をお詫びした直後
・思えば1990年に宮古島はハンセン氏病の療養所(南静園)時代に、身の程知らずの若造として講演にお招きした時以来の御縁でした。
写真はハンセン氏病の療養所の応接室で宮古病院のStaff達と歓談される様子
Amen
http://www.asahi.com/articles/ASK3R7QBZK3RULBJ01T.html
「アメリカに残るしかない・・」と諦めていた編集長が25年前に帰国できたのも日野原重明先生のお陰でした。
・ド田舎のKentuckyで日野原先生から、お手紙を頂いた時の興奮は忘れません。写真はその手紙と封筒
・聖路加国際病院で採用して下さると・・・
・早速、Chicagoに飛来される日野原先生のお会いすべく10時間ドライブしてChicagoまでいったのでした
・日野原先生が初めて日本の医学界に紹介されたLaurence Tierney先生と初めてお会いしたのも25年前、日野原院長室でした・・
・その後、ご恩に十分報いるどころか、落胆・失望させて仕舞う事の多かった編集長の人生でしたが、それでも赦して下さっていた大きな方でした・・
写真は医学書院で鼎談させて頂いた時に過去の非礼をお詫びした直後
・思えば1990年に宮古島はハンセン氏病の療養所(南静園)時代に、身の程知らずの若造として講演にお招きした時以来の御縁でした。
写真はハンセン氏病の療養所の応接室で宮古病院のStaff達と歓談される様子
Amen