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Channel: 感染症診療の原則
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10月23日でした 高知感染症研究会に出かけます

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以前、「ルーツをたどる」で紹介をしましたが、編集長のご先祖にあたる人が咸臨丸に載って米国にでかけています。

一緒に載っていたメジャーな皆さまは、、、勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉。 Oh, グレート!

ジョン万次郎さんといえば、高知のご出身。
そして、編集長は今週の金曜日の講演に高知県に出向くのであります。

神戸で開かれた学会の編集長の抗菌薬適正使用(S製薬スポンサー)のセッションに参加されていた方が、病院に戻ったあとに、編集長を読んで勉強会をしたいとご提案下さったそうです。

・・・ありがたいお話です。いずみの病院の皆さまありがとうございます。

編集部情報によりますと、この日は四万十川のほうからもご参加があるそうで、皆さんにお目にかかるのを楽しみにしています。
(「高知家」バッチをいただけるそうなので、その写真をブログ用に撮ってくるようオーダーが出ています)


ご先祖がご一緒させていただいた高知ご出身のジョン万次郎さんは、1827年に土佐清水市中浜の貧しい漁師の家に生まれ、14歳の時のときに仲間4人とともに長さ8メートルの小舟で漁に出ましたが、嵐で船が漂流。

船は無人島に漂着。そこで143日も暮らし、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって救助されます。

14歳・・・・・。今なら中学2年生。

この船長は5人の漂流者たちを安全なハワイへと連れて行きます。
そこから万次郎さんはアメリカへ渡ります。

救出されてから2年後、船はアメリカ最大の捕鯨基地、マサチューセッツ州ニューベットフォードに帰港。
そこでいろいろ学ばせてもらったり経験を積んだあと日本に帰ることに。

1851年(24歳)に上海経由で琉球(沖縄県)にもどります。ときは鎖国時代。

琉球→薩摩→長崎→土佐と戻ったそうですが、無事に戻れてよかったですね。

アメリカの船に連れて帰ってきてもらったのに入国させてもらえなかった人もいますので。

編集長は帰国はできましたが、帰れという人は複数いたそうです(ぼそぼそ・・・) 。


さて。帰る前にいろいろ「事情聴取」されています。
聞いたほうもびっくりしたでしょうね~。まだちょんまげの時代ですから。

  参考中浜万次郎資料室 ウエルカムジョン万の会

そして1853年 浦賀にペリー来航。開国です。

米国の事情を知っていて英語もわかるということで江戸幕府に呼び出される万次郎さん。

その後、1860年(33歳)幕府が「日米修好通商条約」批准のために初の公式海外使節団をアメリカに派遣することになり、随行した「咸臨丸」で通訳(事実上の船長)として活躍。

帰国後も開成学校(東京大学の前身)教授になったりと激動の生涯でした。




たくさん関連書籍もある有名人。

ジョン・マン1 波濤編 (講談社文庫)講談社

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫)新潮社

椿と花水木―万次郎の生涯〈上〉 (幻冬舎文庫)クリエーター情報なし幻冬舎

漂流 (新潮文庫)新潮社

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